迷子こそが旅の醍醐味
「地図、どっちが北だよ!」「いや、絶対こっちだって。さっきのコンビニを右に曲がったはずでしょ!」「いやいや、さっきから同じ看板を三回は見てる気がするんだけど。ねえ、誰か正解知ってる?」「無理。私、さっきから適当に歩いてたし(笑)」「誇張しすぎ!まあいいや、どっちに行っても熱海なんだから。とりあえずこの寒さ、誰かどうにかしてよ!」
12月の冷たい海風がコートの隙間に潜り込み、私たちは凍えそうな指先で画面を叩きながら、互いの不手際を笑い飛ばしていた。鼻先がツンと冷たく、吐き出す息が白く濁る。正解なんてどうでもいい。この凍てつく空気の中で誰かと一緒に迷っている状況が、なんだか心地よかった。
紺青の海と、心ほどける湯の記憶
熱海ニューフジヤホテルの別館アネックスにあるオーシャンビュールーム和室に足を踏み入れた瞬間、まず鼻をくすぐったのは、乾いた畳の、どこか懐かしい青い匂いだった。荷物を放り投げると、畳の心地よい弾力が足の裏から伝わり、外の寒さで強張っていた身体がふっと緩む。高層階の海側という特等席からは、12月の濃い青色をした海が地平線まで広がっていた。昼間の突き抜けるようなブルーではなく、夜が近づくにつれて境界線が曖昧になり、空と海がひとつの巨大なインクに染まっていくような、静謐で贅沢な光景。私たちは誰からともなく窓辺に集まり、ただ黙ってその深い色に心を浸していた。
そのまま、ホテルから徒歩3分ほどのところにある大湯間歇泉まで、小さな冒険に出ることにした。街の路地を抜けると、不意に硫黄の濃厚な香りが漂い始める。立ち昇る真っ白な湯気が視界を遮り、まるで異世界に迷い込んだかのような錯覚に陥った。地面から突き上げる熱い湯の音は、静かな街の中でだけ聞こえる地球の呼吸のような低い振動となって、足裏から心臓まで響いてくる。指先をかすめる湿った空気の熱。冷たい外気と、地面から湧き上がる熱。その激しい温度差が、今ここに生きているという感覚を鮮明にさせてくれた。
夜のメインイベントは、ライブキッチンの賑わいが心地よいバイキングだ。皿がぶつかり合う軽快な音、調理場の活気ある声、そして立ち昇る湯気の向こう側に見える色とりどりの地元料理。私たちは誰が一番多く盛り付けるかという、子供のようなくだらない競争を始めていた。地元の旬の味を口に運ぶたび、身体の芯からじわじわと熱が広がり、心まで満たされていく。その後、大浴場へ向かい、熱い湯に身を沈めた。肩まで浸かった瞬間、一日中張り詰めていた筋肉が、ゆっくりとほどけていく。それは、社会という重い鎧を脱ぎ捨てて、ただの自分に戻る時間だった。お湯の温度がちょうどよく、肌にまとわりつく感覚が、心地よい重みとなって意識を心地よく麻痺させていく。
静寂に溶け込む、名前のない約束
「……ねえ、来年もまた、こんな感じで集まれるかな」
部屋の明かりを落とし、冷えた飲み物を片手に、私たちは畳の上に大の字になって寝転がっていた。昼間の騒がしさが嘘のような静寂の中、お風呂上がりの火照った肌に、窓から忍び込む冬の夜風が心地よく触れる。
「さあね。でも、誰か一人が『行こう』って言えば、結局みんな来るんでしょ」
「まあね。また誰かが道を間違えて、めちゃくちゃに迷うんだろうけど」
「いいじゃん。迷うのがこの旅の正解なんだから」
私たちは答えの出ない未来の話をしながら、ゆっくりと意識を深く、暗い海の色へと沈めていった。
窓の外では、街のイルミネーションが小さな星のように瞬いていた。
- 熱海ニューフジヤホテルの高層階オーシャンビュールームで、刻々と変わる海の色彩を堪能して。
- 夕暮れ時の大湯間歇泉へ。湯気と街灯が混ざり合う幻想的な景色が心を癒やしてくれます。