← 戻る AMANE RESORT SEIKAI(潮騒の宿 晴海)

海の色が、少しずつ混ざり合うまで

海の色が、少しずつ混ざり合うまで

同じ景色、違う温度

指先に触れたアルミサッシの冷たさが、意識を現実に戻してくれる。3月の別府は、まだ冬の終わりを惜しんでいるみたいだ。室内の柔らかな暖房の気配を切り離して、テラスの扉を開けた瞬間、肺の奥までキリッと引き締まるような潮風が入り込んできた。目の前に広がるのは、灰色に濁った海と、それと同化した淡い色の空。境界線がどこにあるのか分からない。まるで水に落とした墨が、ゆっくりと、けれど確実に紙の繊維に滲んでいくように、世界がぼやけて見えた。隣に立つ君と、ほんの数センチの隙間がある。その空白が、今の私たちの距離感そのものな気がして、私はあえてその隙間を埋めようとはしなかった。波が砕ける音は不規則で、けれどどこか心地よいリズムを持っていて、耳の奥で小さく共鳴している。私たちは何を話しに行くんだろう。答えなんてないままでもいいけれど、ただ、この冷たい空気を一緒に吸い込んでいることだけが、今の正解な気がしていた。足元のウッドデッキが、冬の寒さを吸い込んでいて、足裏からじわじわと冷気が伝わってくる。その心地よい緊張感が、今の私にはちょうどよかった。


浴衣の裾が足首に触れる、少しざらついた麻の感触。部屋の中の温もりに甘えていた身体が、外気に出た瞬間に小さく震えた。視界に入ったのは、海を背景にした君の横顔。風に吹かれて少し乱れた髪が、白い肌に張り付いている。その小さくて不完全な様子に、ふと胸が締め付けられた。君は遠くの水平線を見つめていて、何を考えているのか分からない。けれど、その静かな横顔を見ているだけで、不思議と安心感が込み上げてくる。足元のウッドデッキは冷たくて、裸足で立つのが少しだけ心細いけれど、君がふと隣に寄り添ったとき、肩から伝わってきた体温だけが、この世界で唯一信じられる温度だった。海の色は、深い青から淡い紫へ、そして白へと、ゆっくりと色を変えていく。そのグラデーションを眺めているうちに、言葉にしなくていい心地よさが、ゆっくりと身体に染み込んでいった。君の呼吸の音が、潮騒の音に重なって聞こえる。私たちはきっと、同じことを考えてはいないけれど、同じ温度の風に吹かれている。それだけで十分だという気がした。

二人が見つけた、たった一つの空白

二人が同時に気づいたのは、客室の露天風呂から立ち上る、濃密な白い湯気だった。冷たい外気と熱い源泉がぶつかり合い、激しく、けれど静かに空へと溶けていく。その様子は、まるで二つの異なる色が混ざり合い、新しい色へと変わっていく化学反応を見ているようだった。私たちは、お互いの考えを完全に理解し合うことはできないし、これからも無理に合わせようとはしない。それでも、同じ温度の湯に浸かり、同じ方向の水平線を眺めているときだけは、一つのリズムを共有できている気がする。ふと、君が「あ、お湯に指が入った」と小さく笑った。その拍子に跳ねた雫が頬にかかり、少しだけしょっぱい味がした。その些細な出来事が、張り詰めていた空気を柔らかく解かしてくれた。

湯上がりに、部屋でいただいた地元の温かいお茶。湯呑みから伝わる熱が手のひらをじんわりと温め、口に含むと、わずかな苦味のあとに、春を待つ土のような優しい甘みが広がった。その味が、今の私たちの関係に似ている気がした。完璧ではないけれど、どこか心地よい。潮騒の宿 晴海で過ごした時間は、何かを解決するためではなく、ただ、今の不完全なままの私たちを、そのまま受け入れるための時間だったのかもしれない。湯気に巻かれて、自分という輪郭が少しだけ曖昧になる感覚。それは寂しさではなく、心地よい解放感だった。空に溶けていく白い煙を眺めながら、私たちはただ、そこにいた。

海の色が、夜の帳に飲み込まれていくまで、私たちはもう何も話さなかった。

  • 3月の別府はまだ冷えるので、テラスで過ごすときは厚手の羽織ものを用意してほしい。
  • 露天風呂から見える海の色が変わる、日の出前の静かな時間を大切に過ごしてほしい。