← 戻る 悠彩の宿 望海

湯気の向こうで、小さな足音が跳ねていた

湯気の向こうで、小さな足音が跳ねていた

畳のい草が放つ、青々しくも懐かしい香りが鼻腔をくすぐる。チェックインしてすぐに、下の子が靴下を脱ぎ捨て、裸足で畳を叩く軽快な音を響かせて走り出した。上の子は「静かにしなさい」と嗜めながらも、その瞳にはいたずらっぽい光が宿り、自分も同じ速度で追いかけていく。私はその光景を、温かいお茶の湯気に包まれながら眺めていた。静寂を求めて訪れたはずなのに、この賑やかさこそが、今の私たちに欠けていた心地よいリズムだったのかもしれない。


「別府温泉 悠彩の宿 望海」の屋上露天風呂に身を委ねると、肌にまとわりつくような、源泉かけ流し特有の「つるぬる」とした感触が心地よい。指先で水面をなぞれば、それは液体というよりも、温かい絹の織物に触れているかのようだ。視界の端に広がる別府の海は、12月の低い太陽に照らされ、鈍い銀色の鱗のようにきらめいている。肩まで深くお湯に沈めると、冷たい冬の空気が頬を撫で、身体の境界線がゆっくりと溶けていく。ただそこに在るだけでいい。そんな静かな許しを得た気分だった。
部屋の障子越しに、外の波の音が低い周波数で、心臓の鼓動のように入り込んでくる。それに重なるのは、おもちゃを取り合いながら弾ける子供たちの高い笑い声。それはまるで、丁寧にレイヤーを重ねたサウンドトラックのように、この空間を立体的に彩っていた。誰かが飲み物をこぼし、慌てて布で拭き取るカサカサという音。そんな日常的な小さな騒音さえも、この部屋という箱の中では、愛おしい残響として響く。完璧な静寂よりも、こうした不完全な音の重なりこそが、私に深い安心感を与えてくれた。
露天風呂付の客室でいただくお部屋食。テーブルに並んだ大分和牛の脂が、柔らかな照明を受けて宝石のようにキラキラと光っている。口に運んだ瞬間、とろけるような温度と共に、濃厚な旨味が舌の上で爆発した。関アジや関サバの刺身は、身が驚くほど締まっていて、噛むたびに別府の海の冷たさと力強さが伝わってくる。レストランの緊張感はなく、子供たちが自由に足を伸ばして食事を楽しめる贅沢。上の子が「これ、本当に美味しいね」と小さく呟いたとき、その一言がどんな豪華なご馳走よりも、私の心に深く染み渡った。
午前6時。厚いカーテンの隙間から差し込む鋭い光が、部屋の隅にある古い木目の色を鮮やかに照らし出している。まだ半分眠っている子供たちの、規則正しい、小さく温かい寝息。窓の外では、街がゆっくりと目を覚ます気配が漂い、遠くに別府タワーが淡いブルーの空に溶け込むように静かに立っていた。光の粒子がダンスを踊るように部屋を満たしていく様子を眺めていると、世界はとても優しく、何度でもやり直しのきく場所であるように感じられた。
子供が、自分にはあまりにも大きすぎる浴衣に身を包んでいる。袖が長すぎて、小さな手が完全に見えない。もぞもぞと動くたびに、布が擦れるカサカサという乾いた音がして、その不格好さがたまらなく愛おしかった。厚手の布の重みと、少しだけ硬い質感。彼らにとってこの旅は、大人な服を着て未知の世界を歩く、そんな不思議な冒険だったのかもしれない。私はその小さな、けれど誇らしげな背中を、そっと押してあげたくなった。
最後のお風呂から上がり、家族みんなで布団に潜り込んだとき。誰一人として喋らなくなった、短い沈黙が訪れる。けれどそれは、寂しい空白ではなく、お互いの体温が伝わり合う、満たされた静寂だった。外では12月の冷たい風が吹き荒れているはずなのに、この布団の中だけは、世界で一番安全な繭の中にいるように思える。明日になればまた、それぞれの日常という戦場に戻るけれど、この肌に触れる温もりさえあれば、きっとなんとかなる。そう確信させてくれる夜だった。

湯気の中に溶けていった笑い声が、今も耳の奥で心地よく鳴り響いている。

  • 子供たちが気兼ねなく過ごせるよう、プライベート感溢れるお部屋食プランをぜひ選んでみてください。
  • 屋上の露天風呂から眺める別府の街並みと海は、空気が澄み渡る早朝の静かな時間帯が特におすすめです。