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窓を叩く雨の音と、隣にあるあなたの呼吸

窓を叩く雨の音と、隣にあるあなたの呼吸

部屋の隅に静かに佇む濡れた傘

黒いナイロンの生地から、不規則なリズムで水滴が床に落ちる、小さく鋭い音が静寂に響いている。冷たい金属の持ち手には、まだ博多の街に漂っていた湿った空気がしっとりと張り付いていて、指先に触れるたびにじわりと芯まで冷たさが伝わってくる。雨上がりのアスファルトが放つ特有の匂いと、すれ違った誰かの淡い香水の残り香。それをそのまま部屋に持ち込んだような、少しだけ心細く、けれど不思議と心地よい湿り気。ダイワロイネットホテル博多祇園の入り口で受け取った清潔なタオルの眩い白さと、この深い黒い傘のコントラストが、今の私たちの絶妙な距離感に似ている気がして、私はしばらくその傘を眺めていた。

どちらが先に動くかという、静かな駆け引き

「ねえ、もう一回外に出る?」

あなたがスタンダードダブルルームのベッドの端に腰掛けたまま、ぼんやりと窓の外を見つめて呟く。外はまだ、淡いグレーのカーテンが街全体を覆ったような、曖昧な空の色をしていた。私はもぞもぞと、マットレスの深い沈み込みに身を任せたまま、答えを迷う。心地よい弾力が、私の決断をさらに鈍らせる。

「どうだろう。あそこまで歩いて、また濡れるのが、今はちょうどいいかもしれない」

「ふふ、変な言い方」

「だって、濡れるのが嫌なわけじゃないし。ただ、このままここで、雨の音が止むのを待っている時間も、もったいない気がしなくて」

私たちはどちらからともなく、しばらくの間、何も言わずにいた。部屋の中を流れる空気清浄機の低いハム音が、私たちの沈黙を優しく塗り潰していく。もしかしたら、私たちは目的地に辿り着くことよりも、こうしてどちらが先に立ち上がるかという小さな駆け引きをしている時間の方が好きだったのかもしれない。ふと気づけば、コンタクトレンズを入れ忘れていた私の視界の中で、あなたの輪郭が少しだけぼやけて見えている。それがかえって、今のこの曖昧で、けれど親密な空気に馴染んでいるように感じられた。

紫陽花が色を変えるように、私たちも

チェックアウトして、あの部屋を後にしたとき、私はふと思った。あの空間は、単なる宿泊場所ではなく、私たちという不完全なパズルを一時的に置いておくための、大きな容器だったのではないか、と。

六月の博多を彩る紫陽花は、土の酸度によって青から紫へ、そしてピンクへと、その色を静かに変えていく。それは強い意志による変化ではなく、ただそこに在る環境に、自分を合わせていった結果なのだろう。私たちの旅も、きっとそうだった。計画通りに観光地を巡るのではなく、雨が降ったからホテルに留まり、静寂に耳を澄ませ、互いの呼吸の速さを確認し合う。そうして環境に身を委ねることで、言葉にする前の、もっと手前の感情に気づくことができた気がする。

ダイワロイネットホテル博多祇園の、あの直線的で洗練されたインテリア。無駄のない機能的な空間だからこそ、そこに置かれた私たちの迷いや、ためらいといった「ノイズ」が、かえって鮮明に浮かび上がっていた。もしかすると、私たちは正解を探していたのではなく、ただ「わからない」という状態を二人で共有したかっただけなのかもしれない。心地よい重さを持つデュベスタイルの掛け布団に包まれて、外の世界の喧喧喧騒が遠いところの出来事のように感じられたあの感覚。それは、欠けている部分があるからこそ、そこに誰かが入り込めるという、静かな肯定感に似ていた。

いま思い出しても、あの部屋のタイルの冷たさや、デスクの表面に指を滑らせたときの滑らかな質感、そして、窓の外で降り続いていた雨の匂いが、鮮明に蘇る。私たちはあの旅で、何かを劇的に解決したわけではない。ただ、今のままでもいいのだと、お互いの輪郭をなぞり合っただけ。けれど、その不確かさこそが、今の私たちにとって一番必要な、心地よい周波数だったのだと思う。

サイドテーブルのランプが、オレンジ色の小さな光を落としていた。

  • 祇園駅から徒歩圏内の、雨に濡れた博多の路地を、あえてゆっくりと歩いてみること
  • 櫛田神社まで歩く途中で、雨に濡れて色が深まった紫陽花を、言葉を交わさずに眺めてみること