← 戻る 小田急 山のホテル

冷えた指先と、誰のものか分からない笑い声

誰が迷子になるか、賭けてみたところから

箱根湯本駅に降り立った瞬間、鼻腔を突き抜けたのは、焼きたての栗の香ばしさと、少し湿った土の匂いだった。11月の空気は、肺の奥に冷たい針を刺すような鋭い快感がある。私たちは駅の改札を出てすぐに、誰が一番早く道に迷うかという、どうでもいい賭けを始めた。ナビ担当を自称したAが自信満々にスマホを掲げているけれど、その画面のバッテリーが残り8%しかないことに気づいたのは、歩き始めて十分後のことだった。誰かが「大丈夫」と言うたびに、旅の不確実性が心地よい振動となって足元から伝わってくる。歩幅のバラバラな三人が、冷たい風に吹かれながら、とりとめもない会話を路面に散りばめて歩く。そういう、目的のない時間の使い方が、今の私たちにはちょうどいいのかもしれない。


予定外の曲がり角で見つけた、静寂の赤

ホテルのシャトルバスを待つ間、私たちはふと思いついて、脇道へと足を踏み入れた。石畳の感触が靴底を通じて伝わり、どこからか聞こえてくる小さな沢のせせらぎが、街の喧騒をゆっくりと塗り替えていく。結果的に、私たちは完全に方向を間違えていた。けれど、そのおかげで、誰にも教えられていないような、燃えるように赤い楓のトンネルに迷い込んだ。視界が真っ赤に染まったとき、胸のあたりに心地よい圧迫感を感じた。それは、正解のルートを外れたときだけ得られる、小さくて贅沢な解放感というものかもしれない。Aが「ここ、絶対地図に載ってないよね」と呟き、私たちは顔を見合わせて笑った。効率的に観光地を回るよりも、こうして「間違った方向」に一緒に迷い込むことの方が、ずっと私たちの関係性に似合っている気がする。紅葉の葉が肩に触れたとき、その冷たさが、今この瞬間の輪郭をくっきりと際立たせていた。


小田急 山のホテル、白い静寂に包まれる場所

重厚なドアを開けて「小田急 山のホテル」のロビーに入った瞬間、空気の密度が変わった。古い木材と磨き上げられた真鍮が混ざり合った、落ち着いた香りが鼻をくすぐる。チェックインを済ませ、案内されたコーナートリプルルームのドアを開けたとき、私たちは一斉に、誰がどのベッドを使うかで静かな、けれど激しい争奪戦を始めた。結局、ジャンケンで決めることになったけれど、負けたBが不満げに枕に顔を埋める音が、部屋の静けさに心地よく響いた。

窓の外に目を向けると、そこには白く塗りつぶされた巨大な静寂――富士山が鎮座していた。絶景という言葉で片付けるにはあまりにももったいない。ただ、そこにあるだけで、私たちの騒がしい会話さえも、風景の一部として優しく飲み込んでくれるような感覚があった。足裏に触れるカーペットの厚みが、外の世界との境界線を曖昧にし、ここだけ時間がゆっくりと、深い呼吸をしているように感じられた。

夕食にいただいた地元の食材を使った煮物料理は、根菜の滋味がじわっと舌に広がり、冷えた身体の芯からゆっくりと熱が戻ってくるのが分かった。食後、部屋で浴衣に着替えようとしたとき、Cが帯の結び方と格闘して、結局ぐちゃぐちゃなリボンみたいな形にしてしまった。「これが最新のスタイル」と言い張るCの姿に、私たちはまた、お腹が痛くなるまで笑った。そういう、完璧じゃない瞬間こそが、旅の本当の記憶になる。夜、ラウンジで静かにグラスを傾けながら、窓の外に広がる芦ノ湖の深い青を見つめていると、孤独というものは、誰かと一緒にいるときに見つける、心地よい隙間のようなものだという気がした。


窓の外で、富士山が静かに夜の闇に溶け込んでいた。
  • 富士山ビューの部屋で、あえて何もせず、光の変化を眺めて過ごす時間を持ってほしい。
  • 庭園の散策路で、あえて地図を閉じ、足裏に伝わる土の感触だけを頼りに歩いてみて。