← 戻る JRイン 函館

電車の音が、少しだけ遠くに聞こえた夜

二段ベッドの金属製の梯子が、指先にひんやりと鋭い冷たさを伝えてきた。上の子に「ここが僕だけの秘密基地なんだ」と得意げに言い張られ、狭い段差を何度も上り下りする小さな足音。バタバタとした賑やかさが部屋いっぱいに波のように広がり、正直に言えば、心地よい疲労感が肩に溜まっていた。けれど、その騒がしさこそが、今の私たちにとって一番心地よい温度なのだろう。子供たちの予測できない動きに振り回される時間は、まるで秋の気圧が変わる直前の、あの少しだけ落ち着かない、けれど期待に満ちた澄んだ空気感に似ている気がした。


大浴場の湯船に深く体を沈めたとき、肩から上の緊張がふっと解け、温かな湯の中に溶け出していくのがわかった。お湯の温度がちょうどよく、強張っていた肌が柔らかく緩んでいく。隣の洗い場からは、子供たちがどちらが先に洗えるかで言い争っている幼い声が、白い蒸気越しにぼんやりと届く。その喧騒さえも、今の私には遠い国の出来事のように心地よく、ただただ、自分の呼吸が深く、ゆっくりになっていく感覚に身を任せていた。誰にも邪魔されない数分間。それは、親という役割を脱ぎ捨てて、ただの「私」に戻れる贅沢な時間だった。
窓の外から、規則的な電車の走行音が低く響いてくる。ガタン、ゴトンという心地よい振動が、ホテルの床を通じて足の裏にまで伝わってきた。JRイン函館のトレインビューから眺める列車は、どこか懐かしく、同時に誰かを遠い場所へ運んでいく切なさを孕んでいる。下の子が「電車さん、どこへ行くの?」と不思議そうに問いかけてきた。答えはわからないけれど、その純粋な問いかけが心地よいリズムとなって、部屋の空気を静かに満たしていく。音は街の記憶だ。この街の鼓動が、そのまま私たちの旅のBGMになっていた。
翌朝、目の前にある朝市で出会ったいくらの輝き。口の中で弾ける鮮やかなオレンジ色の粒が、濃厚な潮の香りと共に広がった。冷たい酢飯の上にたっぷりと乗ったその感触は、贅沢というよりも、生きている実感に近い。上の子が「宝石みたい!」とはしゃぎながら、頬をいっぱいに膨らませて食べている。味覚というのは不思議なもので、一緒に食べた人の笑顔や、その時のひんやりとした朝の空気感まで一緒に記憶に刻まれる。少しだけ塩気が強く、けれど後味が甘い。そんな記憶が、お腹の中からじわりと温かさを運んできた。
9月の月明かりが、カーテンの隙間から銀色の細い線となって床に落ちていた。部屋の隅に落ちる影が、ゆっくりと時間をかけて形を変えていく。外に出ればススキが夜風に揺れているはずで、その静かな揺らぎが、室内の静寂をより深いものにしていた。子供たちがようやく深い眠りに落ち、部屋に訪れた不意の静まり返った時間。暗闇の中で、お互いの規則正しい寝息だけが聞こえる。その空白の時間は、何もないのではなく、家族という形を再確認するための、大切な余白のような気がした。
フロントで借りた塗り絵の、紙に鉛筆が擦れる小さな乾いた音。下の子が、電車の絵をわざと真っ青に塗りつぶしていた。実際の色とは全然違うけれど、「これは海を走る電車なんだよ」と誇らしげに笑う顔。その小さな手のひらが、一生懸命に色を重ねていく様子を眺めていたら、正解なんてどうでもいいなと思った。塗り絵の枠からはみ出した色が、そのままこの旅の自由さだったのかもしれない。完璧な計画よりも、こういう小さな「間違い」の方が、ずっと後で思い出す価値がある。
チェックアウト前のJRインラウンジで、みんなでぼーっと外を眺めていた。誰一人として多くを語らなかったけれど、共有している静寂がとても心地よかった。バラバラな方向を向いて、それぞれが自分の時間を過ごしながら、それでも同じ空間にいるという絶対的な安心感。家族で旅をするということは、一緒に何かをすることがではなく、一緒に「何もしない時間」を共有できることなのかもしれない。心地よい疲れと、少しの寂しさと、そして十分な満足感。私たちは、ただそこに在るだけでよかった。

朝の冷たい空気と、遠くで鳴る汽笛の音だけが、静かに残っていた。

  • お子様と一緒に、フロントで貸出している塗り絵に挑戦してみてください。正解のない色使いに、きっと驚かされるはずです。
  • 早起きして、ホテル目の前の朝市へ。新鮮ないくらを頬張りながら、港町の目覚めを感じる時間を大切にしてください。