「本当に、あんな青色をしているのかな」
「本当に、あんな青色をしているのかな」と、君が小さく呟いた。チェックインを済ませ、しこつ湖 鶴雅別荘 碧の座の静謐な廊下を歩きながら。僕の指先は、冬の気配を孕んだ空気に少しだけ冷えていて、君のコートの袖に触れるか触れないかの距離で、心細げに揺れていた。
「さあ、どうだろうね」
僕は答えを持っていなかった。ただ、空間に漂う、雨上がりの土と深い森が混ざり合ったような、湿り気のある濃厚な香りに、心地よく酔っていた。僕たちは、お互いの正解をまだ知らないまま、この場所へ来たのかもしれない。
一万年の地層と、今の僕たちの温度
ロビーに鎮座する八メートルの積層壁に触れたとき、指先に伝わってきたのは、ひんやりとした土のざらつきと、悠久の時が凝縮されたような重みだった。万歴継承壁。一万個以上のしじみが埋め込まれ、気の遠くなるような時間を積み重ねて作られたその壁を前にして、僕たちはしばらく言葉を失っていた。一万年という時間の厚みの前では、僕たちが抱えている名前のない不安や、言葉にできないもどかしさなんて、ほんの数ミリの隙間に過ぎない。自分の小ささを認めることは、不思議と心地よい解放感をもたらしてくれた。
案内されたエグゼクティブスイートヴィラの重厚なドアが開いた瞬間、まず意識したのは、空気の密度だ。二百十平方メートルという贅沢な空間。それは単に広いということではなく、僕と君の間に、心地よい「空白」が生まれたということだった。リビングからバスルームまで、裸足で歩けば、タイルの温度が足裏からゆっくりと体温に溶けていく。その歩数を確認しながら、僕は君がどこにいるのかを、衣擦れの音だけで探していた。
プライベートスパのお湯に身を沈めると、肌を刺すような心地よい熱さが、凝り固まった思考をゆっくりと解きほぐしていく。目の前に広がる支笏湖の碧は、既存の言葉では定義できない色だった。それは、深い呼吸を繰り返した後にふっと吐き出した溜息のような色。あるいは、誰にも言えずに飲み込んできた秘密のような、濃い青。君が隣で「あ、本当に青いね」と笑ったとき、その声が水面に小さく波紋を描いた。僕たちは、この深い青色に自分たちのすべてを預けてしまえばいいと思った。
途中で、少しだけ格好をつけて現代アートについて語ろうとしたけれど、考えすぎて足元がおぼつかなくなり、壁に軽く肩をぶつけた。君に小さく笑われたけれど、その気まずさが、今の僕たちにはちょうどいいリズムだった。完璧である必要なんてない。むしろ、どこか不器用なままで、この贅沢な静寂に身を任せている時間が、何よりも贅沢に感じられた。
夕食に添えられていた地元の乳製品の、驚くほど濃厚な甘みが舌に残っている。甘すぎるけれど、それが今の僕たちの心を満たすのにちょうどいい温度だった。僕たちは、答えを出すことをやめて、ただ一緒にこの場所にいることを選んだ。足りない部分があるからこそ、そこに誰かが入り込む余地がある。欠落していることは、不幸なことではなく、ただの形状なのだと、この静かな部屋で気づかされた気がした。
窓の外で、小さな光がひとつ、静かに揺れていた。
- 湖畔をゆっくり歩いて、雨上がりの土の匂いを探してみない?
- お風呂上がりに、二人で静かに温かいお茶を飲もう。