黄金色のバター香る、甘い戦場のような朝食
指先に触れるグラスの冷たさと、どこからか漂ってくる焼きたてバターの濃厚な匂い。午前七時のレストランは、まだ意識が半分眠っている大人たちと、すでにフルスロットルで動き出した子供たちによる、不思議なコントラストに包まれている。シャトレーゼ ガトーキングダム サッポロの朝食バイキングは、ある意味で「甘い戦場」に近いのかもしれない。特に、子供たちが真っ先に突き進むデザートコーナーのあたりは、小さな人間たちが放つ熱気で、周囲の温度が一度ほど上がっているようにさえ感じられる。
「パンより先にケーキを食べていいの?」と、上の子が不安そうに、けれど視線はしっかりと色鮮やかなケーキに固定したまま聞いてくる。私は「たぶん、いいんじゃないかな」と、あえて曖昧に答えた。旅の朝に、誰が何をどの順番で食べるかなんて、世界で一番どうでもいい問題だ。けれど、その「どうでもいいこと」に全力で悩み、期待に胸を膨らませる彼らの横顔を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなる。私は少し苦いコーヒーを啜りながら、子供たちが山盛りに盛り付けたパンケーキの、不自然なほどふわふわとした質感を眺めていた。口いっぱいに頬張り、幸せそうに、でもどこか不器用に笑う彼らの顔。それは、完璧に整えられた旅のスケジュール表よりも、ずっと価値のある景色なのだと確信した。
溶け出したアイスと、予定外の道端ランチ
七月の札幌は、空気が驚くほど柔らかい。けれど、街を歩き回っているうちに、首筋にじわりと汗が滲み、夏の訪れを肌で感じる。大通公園へ向かう途中で、私たちはあらかじめ計画していた「おしゃれなランチ」をあっさりと諦めた。というより、下の子が忽然「もう歩けない」と路上の真ん中でストップし、そのまま地面に座り込んでしまったからだ。結果として私たちが口にしたのは、近くの売店で買った、少し形が崩れた熱々のとうもろこしと、急いで買い込んだコンビニの飲み物だった。
ベンチに腰掛け、湯気が立つとうもろこしを頬張る。指先はベタベタになり、子供たちの口の周りには鮮やかな黄色い汚れがついている。もともとは、もっと優雅に、ガイドブックに載っているような名店で食事をするつもりだった。けれど、実際には、道端で「あー、もうめちゃくちゃだ」と笑い合いながら食べる、この不格好な食事が一番記憶に深く刻まれている。アイスクリームがどんどん溶けて、子供の手首まで白い液体が流れていく。それを拭くティッシュが足りず、結局お互いの服で拭き合うという、少しだけ情けない、けれど笑えるチーム作戦のような時間。旅の正解とは、きっとこういう「予定外の隙間」にこそ落ちているものなのだろう。誰にも見せていない、家族だけの、ちょっとだけ恥ずかしい瞬間。それが、旅という大きなパズルの、一番重要なピースになるのだと感じた。
消灯後の静寂と、秘密のケーキタイム
ホテルに戻り、温泉で芯まで温まった後の肌に、ゲストルームの冷房の風が心地よく触れる。子供たちがようやく深い眠りに落ち、部屋の中には、かすかなエアコンの動作音だけが静かに残っている。ベッドのシーツの、あのパリッとした清潔な感触に体を沈めると、今日一日の出来事が、ゆっくりと波のように押し寄せてきた。プールで激しく水を跳ね飛ばしたこと、浴衣の裾をずっと引きずって歩いたこと、そして、誰が一番多くお菓子を食べたかという、どうでもいい議論について。
サイドテーブルには、館内のショップで買ったシャトレーゼの小さなケーキが二つ。これは、子供たちが寝静まった後の、私たち大人のための「秘密の報酬」だ。フォークでそっと切り分けると、クリームがしっとりと、けれど確かな密度を持って口の中に広がる。濃厚な甘さが、一日の疲れをゆっくりと溶かしていく。この静寂は、昼間の賑やかさがあったからこそ、こんなにも贅沢に感じられるのかもしれない。もしかすると、孤独とは寂しいことではなく、誰かと濃密に一緒にいた後の余韻を味わうための、大切な臓器のようなものなのかもしれない。そう考えながら、私は最後の一口をゆっくりと味わった。明日はまた、子供たちが「あれやりたい」「これ食べたい」と騒ぎ出すはずだ。けれど、今はただ、この静かな闇と、口の中に残る甘い後味だけを大切に抱きしめていたいと思う。シャトレーゼ ガトーキングダム サッポロでの夜は、心地よい充足感と共に更けていった。
玄関に脱ぎ捨てられた、片方だけ上を向いた小さなサンダル。
- シャトレーゼのケーキは、ぜひ夜に部屋で。静寂の中で味わう甘さは、昼間とは違う深い味がします。
- プールは、あえて少し時間をずらして利用して。水面に映る光の揺れが、心地よいリズムを刻んでくれます。