← 戻る ドーミーイン帯広

氷が溶ける音と、子供の寝息

氷が溶ける音と、子供の寝息

喧騒を離れ、家族という名の「小さなチーム」が休息できる場所とは?

首筋に触れる風が、冷たいタオルを当てられたみたいにひんやりとしていた。九月の帯広。駅に降り立った瞬間、肺の奥まで洗われるような、少しだけ鋭い空気が入り込んでくる。スーツケースのキャスターがアスファルトを叩くガタガタという乾いた音が、静かな街に不規則なリズムを刻んでいた。上の子は「もう疲れた」と不満げに口を尖らせ、下の子は見たこともない看板に目を輝かせては、何度も歩みを止める。そんな、いつもの「家族という名の小さなチーム」が抱える不協和音を連れて歩くこと五分。目の前に現れたのが、ドーミーイン帯広だった。

私がここを選んだのは、ここが完璧に作り込まれたリゾートではなく、心地よい「ベースキャンプ」のような場所だと思ったからだ。繁華街の真ん中にありながら、一歩足を踏み入れれば、外の喧騒は遠い記憶のように消えていく。チェックインを済ませ、和室のドアを閉めた瞬間に訪れる、あの独特の静寂。子供たちが畳の上にダイブして跳ね回る音が部屋に響く。その騒がしさが、不思議と安心感に変わる瞬間がある。裸足で踏みしめた畳の心地よいい草の香りと、使い込まれた家具の角の丸みが、張り詰めていた肩の力をふっと抜いてくれた。「ここでは、無理に完璧な親を演じなくてもいい」。ただ、疲れ果てて一緒に横になるだけで十分だと思わせてくれる、ゆるい境界線のような空間が、今の私たちには必要だったのだ。

子供たちの心を捉えて離さなかった、魔法のような時間は?

旅のハイライトは、意外にも「白樺の湯」で過ごした濃密な時間だった。真っ白な湯気に包まれて視界がぼやける中、お湯に浸かった下の子が「お魚になれる気がする!」と、不器用な手つきでバシャバシャと水を跳ねさせていた。大人はつい「静かにしなさい」と言いたくなるけれど、ここではその賑やかささえも、温泉の熱に溶けて心地よく感じられた。肌にまとわりつくお湯の温度が、一日中歩き回って強張っていた身体をゆっくりと解きほぐしていく。それはまるで、心の中の凝りまで溶かし出してくれるような感覚だった。

そして、深夜に提供される「夜鳴きそば」の儀式。お風呂上がり、パジャマ姿で食卓を囲み、湯気の向こう側で麺を啜る音だけが響く贅沢な時間。上の子が「これ、本当に無料でいいの?」と不思議そうに聞き、下の子が口の周りをスープで汚しながら笑っている。その光景を見ていたら、なんだか胸の奥がじんわりと温かくなった。仕上げは、冷凍庫から取り出したばかりのカチカチに凍った無料アイスクリームだ。冷たすぎて頭がキーンとする感覚に、子供たちが顔を見合わせて笑い転げる。熱い温泉と冷たいアイス。その、なんてことないけれど鮮やかな温度のコントラストこそが、子供たちにとっての旅の正体だったのだろう。大人が考える「観光」という概念は、このアイスクリームの冷たさと子供たちの笑い声の前では、何の意味も持たないことに気づかされた。

旅路の果てに、心に深く刻まれた記憶とは?

翌朝、朝食バイキングで出会ったホエー豚丼の味が、今も鮮明に記憶に残っている。甘辛い醤油の香ばしい香りが鼻をくすぐり、口に入れた瞬間に広がるお肉の濃厚な旨味と、ふっくらとしたご飯の甘み。下の子が「おいしい!」と声を上げ、上の子が黙々と頬張る。そのシンプルで力強い味が、帯広という土地の記憶として深く刻まれた気がした。

部屋を出て、再びあの冷たい風に当たったとき、昨日まで感じていた「疲労」が、心地よい「充足感」に変わっていた。私たちは、何か特別な絶景を見たわけではないし、劇的な体験をしたわけでもない。けれど、狭い部屋で身を寄せ合って眠り、同じお湯に浸かり、深夜に同じ麺を啜った。その、重なり合った時間だけが、確かな手触りを持って心に残っている。不完全で、少しだけ騒がしくて、けれど誰一人欠けていなかった時間。そういう、名付けようのない心地よさこそが、家族で旅をすることの真の意味だったのかもしれない。

チェックアウト後、車の中で深い眠りに落ちた子供たちの穏やかな寝顔が、何よりの宝物だった。

  • 帯広駅からの徒歩五分という距離を、あえてゆっくり歩いて、街の匂いと音を子供たちと一緒に観察してみてほしい。
  • お風呂上がりのアイスクリームを食べるタイミングは、ぜひ深夜の静寂が訪れてから。その冷たさが一番心に沁みる。