誰が先に「お腹が空いた」と白旗を上げるか
3月の函館、バルコニーから忍び込む風はまだ冬の鋭さを残し、肌をぴりりと刺す。ヴィラ・コンコルディアリゾート&スパの「リファスイート」に足を踏み入れたとき、まず目に飛び込んできたのは、北欧家具の直線的な美しさと、そこに漂う凛とした静謐な空気だった。けれど、私たちはその完璧すぎる静寂に、どこか気後れしていた。誰が一番先に「お腹が空いた」と白旗を上げるか、密かにプライドをかけた賭けをしていたのだ。結局、一番強がっていたあいつが、小さく腹を鳴らして敗北を認めた。三人で厚手のコートを羽織り、夜の街へ繰り出す。街灯の下で吐き出す白い息が、誰かが落とした言葉のように宙に舞い、冷たい夜気が肺の奥まで洗っていく。戻ってきたとき、私たちの手には地元の海産物のおつまみと、見たこともない色のスイーツ、そして大量の飲み物が詰まったビニール袋があった。洗練されたキッチンに、コンビニのプラスチック容器を無造作に並べるという、最高に不釣り合いな光景。だが、その違和感こそが、私たちの旅を「本物」にしてくれる気がした。
咀嚼しながら、互いのセンスを疑う
「ねえ、この部屋、広すぎて迷子にならない?」「それより、誰がこの謎の味のイカ買ったの。正気?」
テーブルに散らばったおつまみを突きながら、私たちは互いのセンスを全力でツッコミ合った。口の中で弾ける強い塩気と、安っぽいお菓子の甘さが交互にやってくる。スマホで桜の開花予想をチェックしながら、「どうせ私たちは、花が咲く前に風邪を引いて寝込んでるよ」なんて、根拠のない予言を飛ばして笑い合う。昼間に見た雛人形の展示についても、誰かが「あのお人形たち、私たちの格好を見て呆れてたんじゃないかな」と、記憶の中の静謐な空間をかき乱すように語った。
「っていうか、このリファのドライヤー、マジで髪がサラサラになるんだけど。明日からこれで人生変えたい」
「無理でしょ。道具を変えても、中身はあんたのままだし」
笑い声が広いリビングに心地よく反響し、壁に飾られたアートさえも一緒に笑っているように見えた。真空管アンプから流れる柔らかい音楽が、私たちの騒がしさを優しく包み込み、部屋の温度をわずかに上げている。最高級のスイートルームで、コンビニの安っぽいお菓子を頬張りながら、誰の役にも立たない議論を戦わせる。そんな贅沢があるなんて、誰が想像しただろう。本当は、プラン通りに観光地を回るよりも、こういう「計画外の失敗」を共有しているときの方が、私たちはずっと近くにいるという気がした。
胃袋が満たされた後の、心地よい余白
おつまみが消え、会話の波がゆっくりと引いていく。残ったのは空の容器と、心地よい疲労感。部屋の照明を落とすと、窓の外に広がる函館山の深い闇が、ゆっくりと室内へ滲み出してきた。裸足で踏みしめたタイルのひんやりとした温度が、頭の中のノイズを静めてくれる。
さっきまでの喧騒が、心地よい残響となって空間に漂っている。それは、音楽の最後の一音が消えた後の、あの贅沢な空白に似ていた。私たちは、あえて言葉を足さなかった。ただ、隣に誰かがいるという体温だけを感じていた。豪華な設備や完璧なサービスよりも、この「一緒にだらしなく過ごせた」という感覚こそが、この旅の本当の報酬だったのかもしれない。心地よい眠気が、重い毛布のように私たちを包み込む。この部屋の広さは、孤独を際立たせるためではなく、誰かと共有する静寂を贅沢にするためにあるのだと気づかされた。
枕元に残った、一口だけ食べたチョコレートの甘い匂い。
- 函館のコンビニで売っている、地元のブランド乳製品を使った濃厚なプリン。
- 意外と合う、北海道産の塩味の効いたおつまみ系スナック。