← 戻る 函館国際ホテル

いくらの弾ける音と、小さな手のひら

窓ガラスをゆっくりと滑り落ちる雨粒が、別の雫と合流して不意に速度を上げる。それをぼーっと眺めている横で、上の子はタオルを誰が先に取るかで言い合いを始め、下の子はパジャマの裾を引きずって、フローリングをパタパタと走り回っている。完璧な旅なんてどこにもないけれど、この乱雑で温かい空気感こそが、私たちの旅の正体なのだろう。


函館国際ホテルの天然温泉展望大浴場に身を沈めたとき、皮膚と水の境界線が溶けて消えていく感覚があった。しっとりと肌にまとわりつく温かい湯が、旅の疲れという名の澱を静かに洗い流していく。ふと目を上げると、窓の外には6月の函館の街が広がっていた。雨に濡れた街並みが、水彩画のように淡く滲んでいる。ここでは、誰にも邪魔されずに「ただの私」に戻れる。脱衣所で子供たちが騒いでいる気配が遠くに聞こえるけれど、その喧騒さえも、心地よいBGMのように耳に届いた。
耳を澄ませると、遠くで車の走行音が雨に吸い込まれていく。部屋の静寂は、完全な無音ではなく、家族の穏やかな呼吸が重なり合った心地よい密度を持っている。壁の向こうから聞こえる、誰かが歩く小さな足音。あるいは、エアコンが静かに空気を入れ替える低いハム音。音という情報は、時に言葉よりも雄弁に、ここが安全な場所であることを教えてくれる。そんな静けさに包まれていると、心の中のさざ波がゆっくりと凪いでいくのがわかった。
口の中で弾けるいくらの、濃厚でいてどこか爽やかな塩気。炊きたての白いご飯から立ち上る甘い湯気と、その上に贅沢に盛り付けた宝石のような粒。下の子が「おいしいね」と笑いながら、頬に一粒だけいくらをつけたまま私を見た。その滑稽で愛おしい光景に、思わずふふっと笑みが漏れる。豪華な食事というよりも、この「一緒に食べる」という単純な行為が、何よりも贅沢な時間だった。お腹が満たされると、世界が少しだけ優しく見えるから不思議だ。
夜、部屋を照らす間接照明の淡い琥珀色の光が、壁に柔らかな影を落としている。窓の外の深い闇と、室内の温かな光のコントラストが、ここが外界から切り離された聖域であることを強調していた。子供たちが深い眠りに落ち、部屋に漂う独特の静寂。光と影の境界線が曖昧になる時間の中で、私たちはただ、心地よい疲労感に身を委ねていた。
子供の体にぶかぶかの、ホテルで借りた浴衣。袖が長すぎて、小さな手先が完全に見えなくなっている。その格好で、一生懸命に廊下を歩く後ろ姿を見ていたら、なんだか胸の奥がぎゅっとなった。いつの間にか大きくなったけれど、まだこんなに小さい。この不格好なサイズ感こそが、今のこの瞬間を象徴しているようで、私はそれを写真に撮るのではなく、ただ記憶に焼き付けることにした。布が擦れるカサカサという音と、子供の小さな足音が、静かな廊下にリズムを刻んでいた。
隣で眠るパートナーと、言葉を交わさなくても通じ合う、深い安心感。私たちは、旅の途中で何度も迷い、小さな喧嘩をし、それでもこうして函館国際ホテルの同じ屋根の下で休息している。不足しているところがあるからこそ、お互いを補い合える。この空間の余白に、家族という形の心地よい重みがしっとりと馴染んでいた。互いの体温を感じながら、私たちはゆっくりと深い眠りへと誘われていく。

雨上がりのベイエリアを歩くとき、濡れた路面に街の灯りが鏡のように映っていた。

  • 子供と一緒に、いくら丼を自分好みにカスタマイズして、誰が一番高く盛れるか競争してみるのがおすすめ。
  • 展望大浴場から、雨に濡れた函館の街並みを眺めながら、何も考えずにぼーっとする時間を大切に。