← 戻る 心のリゾート海の別邸ふる川

白い息が重なる、ちょうどいい距離

白い息が重なる、ちょうどいい距離

午前10時、窓辺の霜が光を曲げる時間

指先に触れるコーヒーカップの陶器が、心地よく熱い。焙煎された豆の香ばしい香りが、冬の冷たい空気に溶け込み、鼻腔を優しくくすぐる。外は一月の北海道。白老の空気は鋭く、肺の奥まで洗われるように冷やしてくれる。ラウンジの大きな窓には薄く霜が降りていて、そこを通り抜ける冬の光がプリズムのように不規則に屈折していた。その光の粒が、君の肩や、テーブルに置かれた本のページの上に、名付けようのない淡い色彩を落としている。まるで、世界が一時的に色彩の定義を忘れたかのような、幻想的な光景だった。

私たちは、あえて多くを話さなかった。壁一面の本棚に囲まれたこの空間では、沈黙さえも心地よいBGMのように感じられる。本をめくる乾いた音と、遠くで聞こえる太平洋の低い唸り。その二つの音が重なり合って、私たちの間にちょうどいい空白を作ってくれていた。「ねえ、今の波の音、なんだか深い溜息みたいだね」と君が小さく呟く。その声は、静寂に溶け込むほどに儚かった。もしかすると、私たちはまだ、お互いの本当の歩幅を測りかねているのかもしれない。けれど、この静寂の中では、その不確かささえも愛おしいと感じられた。

ふと、難しい顔をして本を読んでいた私が、実はページを上下逆さまに持っていたことに気づいた。それに気づいた君が、ふふっと小さく吹き出した。その笑い声が、張り詰めていた私の肩の力をふわりと抜いていく。完璧である必要なんてない。ただ、ここに一緒にいて、同じ温度の空気を吸っていればいい。そんな気がした。心のリゾート海の別邸ふる川のラウンジで過ごす時間は、答えを出すための時間ではなく、問いをそのままにしておくための贅沢な時間なのだろう。テラスにある足湯から立ち上る湯気が、冬の空に白く溶けていく様子を眺めながら、私はただ、この穏やかな停滞に身を任せていた。

午後11時、月光が海に銀の線を引く頃

湯船に浸かると、肌にまとわりつくお湯の質感が驚くほど滑らかだった。心のリゾート海の別邸ふる川が誇る「美人の湯」は、まるで薄い絹の膜をまとったみたいに、身体の境界線を曖昧にしていく。冷たい夜風が頬を撫でるたび、身体の芯にある熱がより鮮明に意識され、自分が今、確かにここに存在していることを実感した。目の前に広がる太平洋は、深い藍色に塗り潰され、空に浮かぶ月だけが唯一の光源になっていた。湯気に包まれた視界の端で、夜の海が静かに呼吸しているのがわかる。

海面に一直線に伸びる銀色の光の道。その光の屈折を見つめていると、私たちの関係も、この光のように繊細で、角度ひとつで形を変えてしまうものだと思った。不器用な言葉で伝えようとして、うまく届かなかった夜もあった。「言葉にできないこともあるよね」と、隣で君が静かに同意する。その声が、お湯の波紋のようにゆっくりと私の心に広がっていく。もはや言葉による確認は必要ない。ただ、お互いの呼吸のリズムが、ゆっくりと同期していくのを感じていた。それは、海が岸辺に寄せては返す、永遠に繰り返されるリズムに似ていた。

風呂上がりに身に纏った浴衣の、少し硬い綿の感触が肌に心地いい。部屋に戻り、ふかふかのベッドに身を沈めると、身体の重みがゆっくりとマットレスに吸い込まれていった。窓の外では、雪が静かに降り始めていた。音もなく世界を白く塗り潰していく雪は、余計なノイズをすべて消し去り、ただ隣にいる人の体温だけを際立たせてくれる。布団越しに伝わってくる君のぬくもり。その確かな熱こそが、今の私にとって一番の正解なのだと感じた。外の凍てつく寒さが、かえってこの部屋の密やかな親密さを、より深く、濃密なものに変えていた。

明日の朝は、もう少しだけ長く、この静けさに浸っていたい。