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雲に隠れた月と、ぬるくなった缶コーヒー

雲に隠れた月と、ぬるくなった缶コーヒー

濡れた石畳から立ち上る、あの独特な土と雨の匂い。誰が一番に迷子になるかという、くだらない賭けを始めたけれど、結局は全員で同じ方向に道を間違えた。呆れるほどの一致団結。でも、地図を閉じて適当に歩いた先にあった、名もなき路地のしんと静まり返った空気が、なんだか正解だった気がする。



夕食に並んだ地元の山菜。少し土っぽくて、けれど生命力に満ちた力強い味が口いっぱいに広がる。湯気の向こうで、誰かが「これ、何の草だと思う?」と真剣に議論を戦わせている声が、心地よいBGMのように耳に届いていた。お腹が満たされるのと同時に、心の隙間が温かい出汁のような何かでゆっくりと埋まっていく感覚。


「ねえ、その格好で温泉街を歩くの、勇気ありすぎない?」不意に投げかけられた一言から、15分間ひたすら服装のセンスについて言い合う不毛な時間。くだらない。本当にくだらない。でも、そんな意味のない会話こそが、この旅のメインディッシュだったのかもしれない。笑いすぎて、肺の奥が少しだけヒリつくあの感覚。


伊香保グランドホテルの半露天風呂付客室に入って、まず気づいたのは、畳のざらりとした感触とベッドの柔らかさが不思議に同居していること。裸足で歩いてたぶん六歩。その短い距離に、私たちだけの小さな宇宙が完結しているみたいで、なんだか可笑しくなった。誰が先に浸かるかでじゃんけんし、負けた人がお湯の温度を確認しに行くという、最高に効率の悪い儀式。


夜、外に出るとススキがさらさらと風に揺れていた。音というよりは、冷たい空気の震え。空には、厚い雲に飲み込まれそうになりながらも、しぶとく光る月。完璧な満月じゃないところが、今の私たちにはちょうどいい。友人たちと肩を並べて、何も話さずにただ夜空を眺めていた。沈黙が重いのではなく、心地よい重さを持って、私たちをこの地面に繋ぎ止めてくれている気がした。


黄金の湯に体を沈めると、とろみのあるお湯が重い毛布のように肌にまとわりついてくる。指先の冷たさがゆっくりと溶け出し、思考がぼんやりと白く濁っていく。意識の輪郭が曖昧になる感覚。それは、長い間張り詰めていた心の弦が、ふっと緩んだ瞬間だった。あぁ、今、私はここにいていいんだな、と。


深夜三時、誰かが「お腹空いた」と小さく呟き、コンビニで買った安いアイスを分け合った。冷たすぎて頭がキーンとなる。その単純な痛みに、みんなで同時に吹き出す。高級なディナーよりも、このタイミングで食べる溶けかけのアイスの方が、ずっと贅沢に感じられたのはどうしてだろう。


チェックアウトの時、エレベーターのボタンを押す指が少しだけためらわれた。旅の断片が、心地よい残響のように心の中で鳴り続けている。明確な答えが出る旅じゃなかったけれど、問いを抱えたまま日常に戻るのも悪くない。またいつか、この不完全な心地よさに会いに来ればいい。

雲の切れ間から、ほんの少しだけ月が覗いていた。

  • 石段街の端っこにある小さなお店にふらっと寄ってみて。意外な宝物が見つかるかも。
  • 半露天風呂付きの部屋で、夜中に10分だけ一人で静寂に浸る時間を贅沢に作ってみて。