← 戻る 石和びゅーほてる

畳の上で、小さな足が跳ねた音

畳の上で、小さな足が跳ねた音

キャリーケースが奏でる、はじまりの不協和音

冷たい金属製のハンドルを握りしめたとき、指先に伝わってきたのは、旅が始まる前の心地よい緊張感だった。石和びゅーほてるのロビーに足を踏み入れた瞬間、耳に飛び込んできたのは、子供たちの弾んだ靴音がタイルに跳ね返る高い音と、キャリーケースが床を叩くガタガタという乾いたリズム。天井では大きな傘をモチーフにしたシャンデリアが煌めき、その光が子供たちの瞳の中で細かく砕けていた。長男は「僕が地図を持つ!」と、まだ使いこなせないガイドマップを誇らしげに広げ、次男は私の裾を強く引っ張りながら、ロビーを流れる小さな川に指を浸そうとしていた。チェックインの手続きを待つ間、荷物が山のように積み上がり、あちこちから「あれがない」「これがいい」という小さな言い争いが聞こえてくる。けれど、その不協和音さえも、今の私には心地よい家族の音楽のように感じられた。完璧な調和よりも、こうした賑やかな混乱の中にこそ、家族というチームの本当の形があるのではないか。そんな考えが、ふわりと心に浮かんでいた。

プリズムの光と、名もなき発見の旅

外へ出ると、三月の空気はまだ鋭く、頬を撫でる風に冬の名残があった。日本庭園に足を踏み入れたとき、まず五感を支配したのは、低く、けれど力強い滝の音だった。その轟音は、日常の雑音をすべて塗りつぶし、私たちを非日常の静寂へと誘う。浮き舞台に立つと、足下を悠々と泳ぐ錦鯉たちが、水面に鮮やかな光の筋を引いていく。その色彩は、まるでプリズムを通した後のように、赤や金、白へと分かれて揺れていた。次男がふいに「お魚さんが、空を泳いでる!」と叫んだ。見上げると、水面に反射した光が、ちょうど彼が指差した方向の若葉を照らしていた。大人が「景色がいいね」と通り過ぎてしまうような一瞬に、子供たちは、水しぶきが頬にかかる冷たさや、鯉のエサが水面に触れた瞬間の小さな波紋に、世界中のすべてが詰まっているかのように没頭していた。私たちは、計画していた観光スポットをいくつか飛ばして、ただこの庭で、光がどう屈折し、水がどう流れるかを一緒に眺めていた。予定通りにいかないことこそが、旅の本当の贅沢なのだと、子供たちの純粋な眼差しが教えてくれた気がする。

掘りごたつの温もりと、大人のための空白

夜、掘りごたつを備えた広々和室に戻ると、そこには昼間の喧騒が嘘のような静けさが広がっていた。畳のい草の香りが、深く、ゆっくりと肺を満たしていく。子供たちが布団に潜り込み、規則正しい寝息を立て始めたとき、ようやく私たち大人の時間が始まった。お風呂上がりの火照った肌に、少しだけ冷たい夜風を当てながら、キンキンに冷えたビールを一口飲む。そのとき、喉を通る液体の鋭い温度と、部屋の隅で灯る間接照明の柔らかな琥珀色の光が、心地よく溶け合った。大人二人で、ただ静かに座っている。さっきまであんなに騒いでいた子供たちが、今は小さな塊になって眠っている。その光景を見ていると、胸のあたりに、形のないけれど確かな温もりが溜まっていくのがわかった。夕食で堪能した甲州牛の濃厚な味わいがまだ舌に残っていて、その贅沢な余韻が、今日一日の記憶をゆっくりと整理してくれる。壁一枚向こうにあるはずの温泉街の気配を遠くに感じながら、私たちは、普段は口にしないようなとりとめもない話を始めた。誰かが誰かを気遣うのではなく、ただそこに在ることを許し合える時間。それは、家族という共同体の中で、個としての自分が静かに呼吸を取り戻す、大切な空白だった。

ほどけた靴紐と、心に刻まれた温もり

チェックアウトの朝、子供たちは不思議なほど静かだった。けれど、車に乗り込む直前、次男が「もう一回だけ、お魚さんにバイバイしたい」と、私の手を強く握った。その小さな手のひらの温度が、私の心に深く刻まれた。石和びゅーほてるを離れ、さくら温泉通りをゆっくりと歩きながら、私たちはこの旅で得たものを数えていた。それは、立派な写真や記念品ではなく、「あの日、あそこで一緒に笑った」という、目に見えないけれど消えない感覚だった。車が走り出し、バックミラーの中でホテルが小さくなっていくとき、私は、この旅が不完全だったからこそ、こんなにも愛おしいのだと感じた。喧嘩をしたこと、迷ったこと、予定を忘れたこと。それらすべてが、プリズムの光のように重なり合って、家族という彩りを作っている。私たちは、またいつか、この不完全な調和を求めて、ここに戻ってくるだろう。

  • 食事の後はぜひ、家族で中庭の滝の音に耳を澄ませてみてください。言葉を交わさなくても、心地よい連帯感が生まれるはずです。
  • さくら温泉通りを散歩する際は、あえて地図を閉じ、子供が見つけた「不思議なもの」を一緒に探す時間を設けることをおすすめします。