家族という不揃いなパズルを、なぜこの場所へ連れてきたのか。
JR伊東駅からホテルへと向かうわずか7分間の道。3月の空気はまだ鋭く、頬を撫でる風には、どこか懐かしい潮の香りが混じっていた。スーツケースのキャスターがアスファルトを叩く規則的なリズムが、旅の始まりを告げるメトロノームのように響き渡る。伊東温泉 ホテルラヴィエ川良のロビーに足を踏み入れた瞬間、外の冷たい風が嘘のように消え、琥珀色の照明がもたらすしっとりとした温もりが肌を包み込んだ。ここは、家族という名の、少しだけ不揃いで騒がしいパズルのピースを、そのままの形で受け入れてくれる大きな器のような場所なのだろう。
子供たちが弾けるように走り回り、大人がそれに慌てて追いつこうとする。そんな光景が、ここでは決して不自然ではない。むしろ、その賑やかさが空間の空白を心地よく埋め、旅の心地よい周波数になっているように感じられた。すべてが整いすぎた静寂よりも、誰かが笑い、誰かが何かをこぼし、それを誰かが笑って拭き取る。そんな不完全な時間こそが、本当の意味での休息に近いのではないか。チェックインを済ませ、案内された部屋に漂うい草の清々しい香りと、裸足で触れた床のわずかな冷たさに、ようやく心の中の緊張がほどけていく。私たちは、何かを成し遂げるために旅をするのではなく、ただ一緒に、心地よく迷子になるためにここへ来たのだと、ふと思った。
子供たちの瞳が、一番激しく輝いたのはどの瞬間だったか。
バイキング会場に広がっていたのは、60種類を超える料理たちが奏でる、贅沢な視覚的オーケストラだった。立ち上る白い湯気の向こうに、金目鯛の鮮やかな赤や、サザエの壺焼きから漂う香ばしい磯の匂いが幾重にも重なり合う。子供は、自分の手のひらよりも大きな皿に、見たこともない色のおかずを山のように積み上げていた。彼らにとって、ここは単なる食事の場ではなく、未知の味を探検するアドベンチャーパークのようなものだったのだろう。
「ねえ、これってお地のスープなの?」
温泉の湯気を見つめて、下の子がふと呟いた。その突拍子もない言葉に、大人の私たちは一瞬だけ呆気に取られ、それから同時に小さく笑った。正解なんてどこにもない。ただ、その純粋な視点があるだけで、見慣れたはずの景色が少しだけ違った角度から見えるようになる。室内プールに飛び込んだ時の、弾ける水しぶきの音と、鼻をくすぐる塩素の匂い。冷たい水に触れた瞬間に身体がキュッと縮こまる感覚と、その後の温かいジャグジーに身を任せた時の、骨まで溶けていくような心地よさ。子供たちの瞳に映っていたのは、豪華な設備そのものではなく、ただ「自由に動いていい」という圧倒的な解放感だったのかもしれない。彼らが浴衣の裾をズルズルと引きずりながら廊下を歩く、どこか誇らしげな後ろ姿を見て、完璧なスケジュールを立てなかった自分を、正解だったと感じた瞬間だった。
旅路の果てに、心に深く沈殿して残るものは何だろうか。
客室にある温泉に身を沈めたとき、耳に届くのは遠くで鳴る風の音と、自分の静かな呼吸だけだった。お湯の温度がちょうどよく、肌の境界線が曖昧になっていく感覚。家族で一緒に過ごす時間は、時として激しく、疲れることもある。けれど、こうして静かな湯の中で、ただお湯が揺れる音を聞いていると、その疲れさえも、かけがえのない記憶の層として積み重なっていることに気づかされる。3月の春分を迎え、昼と夜の長さが等しくなる頃。私たちの心の中にある「個」としての孤独と、「家族」としての繋がりも、ちょうどいいバランスで共存し始めていた。
チェックアウトの時、子供の手には、ホテルで見つけた小さな貝殻や、誰からもらったのかわからない飴玉が大切そうに握られていた。大きな思い出よりも、そういう取るに足らない、けれど手触りのある断片こそが、後になって一番鮮やかに思い出されるものだ。Hotel Ravie Kawaryo Ito Onsenという温かい包容力に守られて、私たちは自分たちのままでいいのだと、静かに肯定された気分だった。旅の終わりは、いつも少しだけ寂しい。けれどそれは、次にここへ戻ってくるための、心地よい空白を残してくれたということだろう。
濡れた髪を乾かしながら、窓の外に広がる春の淡い光を静かに眺めていた。
- 3月の伊東は風が冷たいため、お子様には柔らかな厚手の羽織ものを準備してあげてください。
- バイキングのサザエの壺焼きは必食。香ばしい磯の香りが、旅の記憶を鮮やかに呼び覚まします。