← 戻る ぬくもりの宿 ふる川

濡れたウールの匂いと、誰かの笑い声

濡れたウールの匂いと、誰かの笑い声

11月の北海道を包み込む空気は、まるで研ぎ澄まされた刃のように鋭い。シャトルバスの扉が開いた瞬間、肺の奥まで凍りつくような冷気が流れ込み、子供たちは一斉に肩をすくめて身を縮めた。次男が「お鼻が凍っちゃった」と、真っ赤に染まった鼻先を指差して無邪気に笑う。その光景を見たとき、私はふと思った。旅というものは、きっとこういう「不自由さ」や「心地よくない刺激」を家族で共有することから始まるのかもしれない、と。しかし、札幌・定山渓温泉 ぬくもりの宿 ふる川の玄関をくぐった瞬間、世界は一変した。そこには外の厳しさを忘れさせるような、しっとりと湿り気を帯びた檜の香りと、誰かが丁寧に淹れたほうじ茶のような、懐かしく温かい匂いが満ちていた。

喧騒さえも風景に溶け込む、この場所へ家族を連れてくる理由とは?

もともと、幼い子供を連れた旅に「静寂」や「優雅さ」を求めるのは、ある種の無理がある。次男は好奇心のままに走り出し、長女は自分のこだわりが通らないと激しく泣き出す。そんな「兵荒馬乱」な日常をそのまま持ち込んでいい場所があるかと言われれば、ここが正解に近い。足裏に触れる畳のひんやりとした感触が、時間をかけてゆっくりと、宿の温度に溶け込んでいく。その緩やかな時間の流れこそが、この宿の正体ではないか。廊下を駆ける子供たちの足音が、ここでは誰かを不快にさせるノイズではなく、家の中に生命力が満ちていることを知らせる心地よいリズムとして響いている。スタッフの方々の眼差しには、形式的な接客を超えた、「おかえり」という言葉がそのまま形になったような柔らかい肯定感があった。完璧な親でいなくていい。子供を完璧にコントロールしなくていい。ただ、そこに一緒にいるという事実だけが、心地よい重さを持ってそこに在る。そんな、里山の懐に抱かれるような安心感が、今の私たちには必要だったのだ。

子供たちの心を捉えて離さなかった、一番の「発見」は何だったか?

おそらく、温泉に浸かった瞬間の「温度の逆転」だろう。最初は「熱い!」と騒いでいた子供たちが、次第に肌がじんわりと解け、心拍数がゆっくりと落ち着いていく。冷え切った指先がお湯の温度に屈して、ふにゃふにゃに緩んでいくあの境界線。次男は、立ち上る白い湯気で視界がぼやけるのが面白いらしく、「おばけになった!」と叫んで、お湯の中で小さな手をバシャバシャと動かしていた。私はその様子を眺めながら、感情にも温度があるのだと思う。冷え切った心も、ちょうどいい温度の場所に身を置けば、時間をかけてゆっくりと解けていく。食事の時間は、さらに賑やかだった。地元の根菜を使った温かい煮物が運ばれてくると、土の香りと共に、少し甘くて深い味わいが口いっぱいに広がった。長女が「これ、お家の味に似てる」と呟いたとき、私たちは同時に笑った。高級な食材が並んでいることよりも、口に入れた瞬間に「美味しい」と直感的に感じられる、嘘のない味が子供たちの心を掴んでいた。浴衣が大きすぎて裾を踏んでよろけた次男が、それを「お姫様のドレスみたい」と言い張って廊下を行進していた光光景は、この旅で一番のハイライトだったはずだ。

旅路の果てに、心に深く刻まれた記憶とは?

チェックアウトの際、再び外の冷たい空気に触れたとき、不思議と寒さはもう敵ではなくなっていた。肌に残った温泉のぬくもりが、薄い膜のように私たちを優しく包んでいたからかもしれない。11月の定山渓を彩る紅葉は、燃えるような赤というよりは、静かに冬に席を譲ろうとする、穏やかな諦めのような色をしていた。でも、その色が今の私たちの気分にちょうどよかった。家族というチームで、寒さに耐え、温もりに甘え、たまに衝突し、最後には笑い合う。そんな当たり前で、けれど何よりも贅沢な時間の積み重ね。帰りの車の中で、次男が私の肩に頭を預けて深く眠りに落ちたとき、私は気づいた。旅の目的は、どこか遠くへ行くことではなく、隣にいる人の体温を、改めて確認することだったのだと。

眠りに落ちた子供の、小さな寝息だけが車内に響いていた。

  • 定山渓の紅葉が最も深くなる時間帯に、あえて目的地を決めずに家族でゆっくりと散歩することをお勧めします。
  • 宿の送迎バスを利用して、車窓から見える11月の北海道の色彩の変化を、子供と一緒に観察してみてください。