← 戻る 定山渓 鶴雅リゾートスパ 森の謌

濡れたブーツがカーペットに沈む音

鼻の奥を刺すような、鋭く冷たい空気。誰が一番先に「寒い」と口にするか、私たちは密かに賭けていた。結果は、車を降りた瞬間に全員が同時に叫んだということで、賭けは不成立。けれど、定山渓 鶴雅リゾートスパ 森の謌の扉を開けた瞬間、外の静寂を塗り替えるように、濃厚な木の香りが肺いっぱいに広がった。もこもことした厚手のカーペットに、濡れたブーツが深く沈み込む。その心地よい重みが、ようやく日常から切り離されたのだという実感をくれた。



ビュッフェのプレートに、北海道の冬をすべて盛り付けようと奮闘した。じゅわっとバターが溶け出した焼きとうもろこしの甘い香りと、新鮮な海鮮が放つ潮の香りが、白い湯気と共に混ざり合う。隣の友人が、山のように積み上げられた料理を見て「胃袋のキャパシティを過信しすぎじゃない?」と呆れたように呟いた。けれど、一口運んだ瞬間に、二人とも黙って深く頷き合った。口の中で弾ける素材の濃密な味が、冷え切った指先にまでじわりと熱を届けてくれるようだった。


デラックスルームの岩盤浴に身を委ねたとき、誰からともなく「今のあんた、完全に蒸し器の中の肉まんみたいだね」という残酷で愉快な会話が始まった。熱い石の温度が背中からじわりと浸透し、汗が滲み出す。それはまるで、心の中に溜まっていた小さなわだかまりや、日頃の無理に張っていた緊張が、ゆっくりと透明な溶液に溶け出していくプロセスのようだった。いや、実際はただただ暑くて、思考が完全に停止していただけかもしれない。


63平米という贅沢な空間の広さに、私たちは最初、少しだけ戸惑った。誰かが小さく咳をすると、その音が部屋の隅まで旅をしてから、ゆっくりと戻ってくる。私たちはわざと大きな声で話し、その心地よい反響を音楽のように楽しんだ。「この広さなら、全力でドッジボールをしても大丈夫じゃないか」なんていう、大人のすることとは思えない馬鹿げた作戦会議を深夜まで続けた。結局、誰一人として布団から出ようとはしなかったけれど。


窓の外に広がるのは、深い群青に染まった雪景色。森の木々が雪の重みに耐え、しなりながら静止している。その光景を眺めていると、世界からすべての音が消え、深い森の呼吸だけが聞こえてくるような錯覚に陥る。ただ、隣で誰かが小さく立てている寝息だけが、心地よいリズムとして耳に残った。孤独であることは、寂しいことではなく、ただ自分という器官を静かに観察することなのだと、雪の静寂が教えてくれた気がした。


深夜3時、ふと目が覚めて洗面所へ向かった。裸足で踏んだタイルの、ひんやりとした、けれど不快ではない温度。鏡に映った自分の顔が、温泉の熱で少しだけ輪郭を緩めていることに気づく。誰に見せるわけでもない、ただの空白の時間。その静寂が、どんな贅沢な設備よりも贅沢に感じられたのは、きっとこの場所の空気が、人をありのままにさせるからだろう。


チェックアウト直前、誰かが雪の中で派手に足を滑らせ、盛大に転んだ。それを見た瞬間に、私たちは同時に吹き出した。大人の振る舞いなんて、この真っ白な世界ではどうでもいい。ただ、一緒に笑い転げられる相手がいること。その単純な事実が、冬の厳しい寒さを一瞬で忘れさせてくれた。濡れた靴下をどうやって乾かすかについて、真剣に議論しながらロビーを後にした。


指先に残る、かすかな硫黄の匂い。心の中にあった尖った角が丸くなり、心地よい倦怠感だけが身体を満たしている。それは、一度完全に溶け合ったものが、再び個に戻るときに持つ、不思議な一体感だった。定山渓 鶴雅リゾートスパ 森の謌で過ごした時間は、答えを出すための旅ではなく、ただ問いを抱えたまま、温かい湯気に包まれるための時間だったのかもしれない。

雪の上に、誰かの笑い声だけが白く残っていた。

  • 岩盤浴付きの部屋を選んで、友達と「肉まん状態」を競い合ってみて
  • ビュッフェでは、あえて一度に全部盛らずに、何度も往復して「最高の一皿」を探して