← 戻る ホテルヴィラフォンテーヌ神戸三宮

ぬるくなったサイダーと、消えかけの花火の匂い

真夜中の空腹に、抗えるはずもなかった

指先にまとわりつくような、七月の神戸の湿った夜だった。浴衣の帯が肺を心地よく圧迫し、呼吸をするたびに少しだけ意識が遠のくような、心地よい倦怠感に包まれていた。みなと神戸祭の花火を追いかけて、人混みをかき分け、迷路のように入り組んだ路地をさまよった後の私たちは、心地よい疲労感と、それ以上の強烈な空腹に支配されていた。JR三ノ宮駅からのわずか四分の道のりさえ、今の私たちには途方もない旅路に感じられたほどだ。

ホテルヴィラフォンテーヌ神戸三宮の自動ドアが開いた瞬間、外の熱気を断ち切る冷気が肌を撫で、ロビーに流れる低く心地よいジャズの音が、張り詰めていた神経をゆっくりと解いていく。チェックインの際、中庭に鎮座する巨大なチェスの駒を見たとき、私たちは誰からともなく「どっちが先に駒を動かしたら負けか」なんていう、どうでもいい賭けをしていた。結局、誰も動かせなかったけれど、その静かな遊び心が、旅の緊張をふっと緩めてくれた。

部屋に戻る直前、私たちは磁石に引き寄せられるようにコンビニへと向かった。ビニール袋の中でカサカサと乾いた音を立てる、揚げたてのコロッケと、結露でしっとりと濡れたサイダー。それを大切そうに抱えてエレベーターに乗ったとき、鏡に映った自分たちの、乱れた髪と、少しだけ誇らしげな顔が、なんだか可笑しくてたまらなかった。

揚げ物の油と、剥き出しの本音が混ざり合う時間

「ねえ、信じられないと思うけど、さっきのルート選び、完全に間違ってたよね」

ベッドの上にコンビニ袋をぶちまけ、私たちは円になって座った。ホテルの部屋は、英国調の落ち着いた色調でまとめられ、静謐で気品のある空気が流れている。そこに、不釣り合いなほど濃厚な揚げ物の匂いが充満し始めた。その場違いな香りが、かえって贅沢な空間の使い道に思えて、私たちは顔を見合わせて笑った。

「っていうか、誰が『こっちの道が近道だ』って言い出したんだっけ。結果的に花火の特等席に着けたからいいけど、途中の坂道で本当に死ぬかと思ったし。誇張抜きで、人生で一番浴衣が恨らしかった瞬間だったよ」

「いいじゃん、あれこそ冒険だったでしょ。それに見てよ、このコロッケ。外はカリッとしていて、中はホクホクで、今の私たちへの最高のご褒美だよ」

サイダーの缶を開ける鋭い音が、静かな部屋に響き渡る。シュワシュワと弾ける気泡が喉を通るたびに、体内に溜まった熱がゆっくりと引いていくのがわかった。私たちは、旅の計画通りに進まなかったことや、誰が一番不格好に歩いていたかについて、遠慮なくツッコミを入れ合った。

普段なら気にするような小さな失敗さえ、この部屋の、適度な距離感のある静寂の中では、ただの愉快なエピソードに変わる。私たちは互いに背負っていた「しっかりした自分」という役割を、コンビニの夜食と一緒に飲み込んでいった。結局、正解のルートなんてどうでもいい。迷い、疲れ、そしてこうして一緒に笑いながら、ぬるくなった飲み物を啜っている。この不完全な時間こそが、今回の旅で一番「私たちらしい」瞬間だったのかもしれない。

満たされた胃袋と、心地よい空白の訪れ

最後の一口のコロッケが消え、部屋には再び心地よい静寂が戻ってきた。空になった袋をまとめ、私たちは吸い込まれるようにベッドへと潜り込んだ。リネンの張り詰めた冷たさが、火照った肌に心地よく馴染み、心まで解きほぐしていく。天井を眺めていると、外の喧騒が遠い国の出来事のように感じられ、ただエアコンの低い唸り音だけが、部屋の輪郭を縁取っていた。

誰かが小さくあくびをし、それに合わせてもう一人がふふっと笑う。言葉にしなくても、今の充足感が共有されていることがわかる。もしかすると、旅というものは、目的地に辿り着くことではなく、こうして誰かと一緒に「何もしない時間」を共有し、その空白を心地よいと感じられるようになる過程なのかもしれない。

明日になれば、また誰かの期待に応える自分に戻るのだろう。けれど今は、ただの、お腹いっぱいで眠い、一人の人間に戻っていい。心地よい重力に身を任せ、意識がゆっくりと溶けていく。最後に耳に残ったのは、遠くで鳴っていた花火の残響のような、静かな鼓動だった。

カーテンの隙間から、神戸の夜の灯りが、細い金色の線となって床に降り注いでいた。

  • 揚げたてコロッケと、少しぬるくなったサイダーの組み合わせ。
  • 地域のコンビニでしか売っていない、地元産の素材を使ったお惣菜盛り合わせ。