← 戻る 虎山温泉会館

湿った空気と、くだらない賭け

結露したペットボトルの冷たさが、手のひらにじっとりとした輪を作る。6月の苗栗を包む空気は驚くほど厚く、まるで目に見えない濡れた毛布を全身に巻いているような、心地よい重圧感があった。車内にはエアコンの乾いた風が流れているが、窓の外に広がる熱帯の湿気が、絶えず私たちの意識を外界へと引き戻す。そんな中、誰が一番先に「忘れ物をした」と白状するかという、どうでもいい賭けが始まっていた。大真面目に議論を戦わせる私たちの声が、狭い車内に反響する。結局、目的地に着く直前になって、誰かがパジャマを忘れたことが判明し、車内は一気に爆笑に包まれた。誰かが鋭いツッコミを入れ、誰かがそれを適当に受け流す。噛み合わないパズルのような心地よいリズム。私たちは、正しい目的地に向かっているという目的意識よりも、ただ一緒に移動しているという、この不確かな時間そのものを愛おしく感じていた。

雨上がりの鏡と、喉を焼くスープ

ふいに、激しい雷雨が降り出した。フロントガラスを叩く雨音が、スタジオで聴くノイズのように不規則で、それでいて不思議と心を落ち着かせる。雨が上がった直後のアスファルトは、黒い鏡のように鈍い光を放ち、空の灰色をそのまま反射して、世界が上下逆さまになったかのような錯覚に陥った。私たちは予定になかった小さな店、「江技旧記」に飛び込んだ。そこで出会ったワンタンは、皮が透き通るほど薄く、中の海老が弾けるたびに、旅の心地よい緊張が少しずつほどけていくのが分かった。熱いスープが喉を通るたび、内側からじわりと体温が上がり、自分たちが今、確かにこの場所に存在しているという確信に似た感覚が込み上げてくる。道に迷ったこともあったし、地図アプリが嘘をついた気もした。けれど、それでいい。予定通りにいかない空白の時間こそが、この旅の正解なのだろう。私たちは濡れた靴を笑いながら、深い緑の海に飲み込まれるように、泰安の山奥へと車を進めた。

虎山溫泉會館(湯之島)-泰安溫泉、肌に触れる記憶

ホテルのロビーに足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。外の湿った重さが、ふわりとした温もりへと変換される。部屋に入ると、まず裸足で踏んだタイルのひんやりとした温度が心地よく、旅の疲れをリセットしてくれる。誰が一番いいベッドを確保するかという、子供のような争奪戦が始まったが、結局はみんなで雑に荷物を放り出し、大きなベッドにダイブした。部屋の広さは、誰かが小さく笑えば、その音が壁に当たって柔らかく跳ね返ってくるくらいの、絶妙な距離感がある。

そして、この旅の白眉だったのが「抿石子浴池」でのひとときだ。お湯に体を沈めたとき、肌に触れたのは滑らかな小石の感触だった。それは単なる浴槽ではなく、指先や背中で感じる、小さな記憶の地図のようだった。お湯の温度は、ちょうどいい。熱すぎず、冷たすぎず、ただ静かに体温と溶け合っていく。外ではまだ6月の雨がしとしとと降り続いており、窓の外の緑が、さらに深い濃色に染まっていくのが見えた。夕食にいただいたチョウザメの火鍋は、肉質が驚くほど鮮やかで、口の中でとろけるような贅沢な味わいだった。素材の純粋な味が、心まで満たしていく。

「ここ、最高じゃない?」

誰かがそう呟いたが、私たちはあえて言葉を返さなかった。立ち上る湯気に包まれて、視界がぼんやりと白む。その静寂は孤独ではなく、互いの存在を認め合う共有された安らぎだった。深夜3時、みんなが寝静まった後に一人で浴槽に入ったとき、聞こえてきたのは自分の静かな呼吸と、遠くで鳴る雨の音だけ。私たちは何かを探してここに来たのではなく、ただ、今の自分たちをそのままにしておける場所が欲しかっただけなのかもしれない。虎山溫泉會館(湯之島)-泰安溫泉という空間は、私たちに「何もしなくていい時間」という、日常では得られない最高のギフトをくれた。チェックアウトして車に戻るころには、肌の表面はしっとりと潤い、心の中のざわつきは、静かな水面のように落ち着いていた。私たちはまた、くだらない賭けをしながら日常という戦場へ戻っていく。けれど、指先に残った小石の感触だけは、しばらく消えないだろう。

濡れたアスファルトに反射する、深い緑色の世界。

  • 虎山溫泉會館(湯之島)の「抿石子浴池」で、小石の感触をゆっくり味わってほしい。
  • 泰安の山道を歩くときは、あえて地図を閉じて、雨上がりの土の匂いに耳を澄ませてみて。