← 戻る 虎山温泉会館

砂利の音と、根拠のない自信について

車のドアを閉めた瞬間の、あの乾いた音が山々に反響した。九月の苗栗は、もう秋の入り口に立っている。鼻をくすぐるのは、少しだけ冷えた空気と、どこからか漂ってくるかすかな硫黄の香り。ロビーに到着した途端、四つのスーツケースがバラバラと床に転がる音がした。「ねえ、結局誰が予約したの?」という問いに誰も答えず、私たちは「誰か適当にチェックインして」と丸投げし合う。一人だけ洗面用具を忘れた友人が、「まあ、現地で買えばいい」と根拠のない自信を口にしたとき、私たちはそれについて三十分ほど言い合いをした。ハンドルを握っていた者の疲れと、助手席で寝ていた者の罪悪感が、心地よい温度で混ざり合っている。そんな混沌とした空気こそが、私たちの旅の正しい始まりなのだと思う。

虎山溫泉會館(湯之島)-泰安溫泉で私たちが学んだ4つのこと

「石の感触は、想像以上に不規則であること」
浴池の底にある小石が、肌に触れるたびに不規則なリズムを刻む。マッサージ代わりになると言い張っていた友人がいたが、実際はただ「おっ」と声が出るくらいの刺激だった。けれど、その不自由さが、かえって意識を自分の身体へと引き戻してくれる。お湯の温度がちょうどよく、指先の強張りがゆっくりとほどけていく感覚。私たちは、ただ石の感触に集中して、しばらくの間、意味のない沈黙を楽しんでいた。

「朝食の温かさは、昨夜の喧嘩を溶かすこと」
地元の味がする温かい朝食がテーブルに並ぶ。昨夜まで、誰が一番多く荷物を運んだかという些細なことで言い合っていたはずなのに、湯気の立つ料理を一口食べた瞬間、全員が黙って完食することに集中し始めた。口の中に広がる優しい甘みと塩気。言葉で謝るよりも、同じ温度のものを同時に食べる方が、ずっと誠実な仲直りの方法かもしれないという気がする。

「『島』にいる感覚は、物理的な距離だけではないこと」
虎山溫泉會館(湯之島)-泰安溫泉という空間に身を置くと、外の世界がふっと遠くなる。スマホの電波を探すよりも、隣で心地よさそうに寝息を立てている友人の存在の方が、ずっとリアルに感じられた。静寂には重さがある。その重さが、普段は隠している本音を、静かに、けれど確実に引き出してくれる。私たちは、都会では決して口にしないような、とりとめもない話を夜通ししていた。

「迷路のような道こそが、最短ルートだったこと」
目的地に辿り着くまでに、何度か道を間違えた。ナビが混乱し、私たちも混乱し、ついには誰がリーダーなのかさえ分からなくなった。けれど、そのおかげで偶然通りかかった名もなき山の色が、予定していた観光地よりもずっと鮮やかだった。正解の道を歩くことよりも、間違った道で誰と笑い合ったかの方が、記憶には深く刻まれる。効率を捨てることで得られる贅沢というものが、ここにはあった。

予定表の空白に現れた、青い時間

計画にはなかったけれど、翌朝の六時にふらっと外に出た。まだ半分眠っている状態で、冷蔵庫に入れていたガラスのように冷たい空気を肺いっぱいに吸い込む。スパへ向かうための吊り橋を渡る際、足元から伝わるかすかな振動と、周囲を包む深い霧が、ここが日常から切り離された場所であることを教えてくれた。すると、遠くの方で小さな鹿がこちらをじっと見つめていた。普段なら「見て見て!」と騒ぎ立てるはずの私たちが、なぜか誰も声を上げなかった。ただ、その視線を共有した数分間。静寂が私たちを包み込み、世界には自分たちと鹿しかいないような錯覚に陥った。そのとき、この旅の本当の目的は、何かを見ることではなく、ただ「ここにいる」ことを確認し合うことだったのかもしれないと感じた。夕食に堪能した贅沢なチョウザメ鍋の余韻が、まだ心に残っている。湯船から上がった後の、あの少しだけ心細くて、けれど自由な感覚。それは、誰にも教えたくない秘密のように、私たちの胸の中に静かに収まった。

湯上がりの肌に、秋の夜風がちょうどいい温度で触れた。

  • 部屋の浴槽で、あえて時間を忘れてゆっくりと浸かってほしい。
  • 朝の散歩で、山の中の静かな呼吸に耳を澄ませてみて。