木製の下駄。長い年月を経て角が丸くなった表面は、指先でなぞるとわずかにざらつきがあり、山あいの湿った空気を吸って、しっとりと重みを増している。廊下の冷たいタイルの上に静かに置かれたそれは、数えきれないほどの旅人が履き、脱ぎ、また誰かが履いたという時間の集積を物語っていた。足を入れた瞬間、ひんやりとした木の温度が肌に伝わり、歩き出すたびに「カラン」と乾いた、けれどどこか寂しげな音が静かな空間に響き渡る。その音は、私たちが日常という境界線を越え、どこか遠い異郷に迷い込んだことを知らせる合図のように聞こえた。
異国情緒と不器用な歩幅の会話
「ねえ、ここ、本当に台湾なんだろうね」
君が、バリ島風の彫刻が施された柱に指先で触れながら、ふと呟いた。私は隣で、自分の下駄の歩幅を君のそれに合わせようとして、少しだけ不格好な歩き方をしていた。
「わからない。でも、もしかすると、地図に載っていない別の場所に迷い込んだのかもしれないね」
「ふふ、そうかも。山の中にバリがあるなんて、なんだか矛盾してる気がするけど、それが心地いい」
「そうだね。正解じゃない方向に向かっている感じがして」
私たちはどちらからともなく笑った。その笑い声は、五月のしっとりとした空気の中に溶けていき、誰にも届かずに消えた。私は、洗練された旅人らしく振る舞おうとして、あえてゆっくりと歩いたけれど、その直後に下駄の縁に足を引っ掛け、派手にバランスを崩した。君はそれを見て、肩を震わせて笑っていた。完璧なムードなんて、この場所の不規則なリズムの前では、何の役にも立たなかった。
不揃いなリズムが教えてくれた、静かな肯定
チェックアウトして、喧騒に満ちた日常に戻った後も、ふとした瞬間にあの下駄の乾いた音を思い出す。日出溫泉渡假飯店で過ごした時間は、単なる宿泊ではなく、お互いの不器用さを認め合い、受け入れるための静かな儀式だったのかもしれない。
五月の苗栗は、雨が降り出す直前の、あの重たい静寂に包まれていた。遠くで雷鳴が低く唸り、風が吹くたびに、どこかで咲いている百合の花の濃厚な香りが、湿った風に乗って鼻先をかすめていった。特に記憶に焼き付いているのは、水療中心の42度の炭酸泉に身を沈めた瞬間のことだ。お湯は無色透明で、肌に触れると、まるで薄い絹の膜をまとったように滑らかだった。いわゆる「美人湯」というけれど、私にとってそれは、皮膚という境界線が曖昧になり、隣にいる君の体温と、自分の体温の区別がつかなくなるような、不思議な感覚だった。お湯の中で指先が触れ合ったとき、言葉にするよりもずっと正確な、ある種の理解がそこにあった気がする。私たちは、無理に距離を詰めようとするのではなく、ただ同じ温度の液体に身を任せていた。
朝食に供された地瓜粥(さつまいも粥)の控えめな甘さと、豆腐乳の濃厚で淡い塩味が、まだ眠っていた身体をゆっくりと起こしてくれた。スプーンが器に当たる小さな音、遠くで聞こえる鳥の声、そして時折、窓の外を横切る山霧の白さ。日出溫泉渡假飯店が抱く山景の静謐さは、心地よい周波数となって、私たちの間に流れていた。広い部屋の中で、あえて言葉を交わさず、ただ同じ景色を眺めていたあの時間は、どんな贅沢な設備よりも、私たちにとって必要な「空白」だったと思う。
あの場所で履いた下駄は、歩くたびに心地よい違和感を与えてくれた。その違和感こそが、私たちがまだお互いについて知らないことがたくさんあり、だからこそ、これからゆっくりと歩幅を合わせていけばいいのだという、静かな肯定感に変わっていった。完璧にフィットする関係よりも、少しだけガタつく、けれど温かい関係でありたい。そう願わずにいられないほど、あの山あいの空気は優しかった。
濡れたタイルの上に、二人の足跡が並んで、ゆっくりと消えていった。
- 42度の炭酸泉にゆっくりと浸かり、肌が滑らかになる感覚を味わってみてください。
- 五月の早朝、山霧に包まれたテラスで、静かに地瓜粥を味わう時間を過ごしてください。