← 戻る 日出温泉ホテル

足元に響く、不揃いなリズム

木製の下駄。使い込まれた表面はわずかにざらついており、指先でなぞると乾いた木の記憶が伝わってくる。足の形にぴったりとは合わず、歩くたびに踵がわずかに浮き上がる。廊下の冷たいタイルの上で、カタン、カタンと乾いた音が響き、それが静謐な空間に波紋のように広がっていく。少しだけ大きすぎるその履物は、今の私たちの、どこかぎこちない距離感に似ていた。

ほどけない歩幅の心地よさ

「ねえ、これ、歩きにくくない?」

君がいたずらっぽく笑いながら、自分の足元を覗き込んだ。右足がふわりと浮いて、バランスを崩しそうになる。私はその様子を眺めながら、自分の下駄が刻む音に耳を澄ませていた。カタン。君の音。カタン。私の音。二つの音は決して重なることはなく、けれど絶妙なズレを持って追いかけ合っている。

「なんだか、劇の衣装みたいだね」

「本当だ。私たち、今どこにいるんだっけ」

「苗栗の山の中。でも、景色は南国のリゾートみたい。不思議な感覚だね」

君が私の袖を軽く引いた。湿った空気の中で、指先の温度だけが鮮明に伝わってくる。私たちはどちらからともなく、ゆっくりとした歩幅で、湯煙の向こう側へと歩き出した。

欠けているからこそ、満たされるもの

チェックアウトしてあの下駄を脱いだとき、足の裏には心地よい疲労感が残っていた。あのぎこちない歩き方こそが、この旅の正解だったのかもしれない。私たちは完璧にフィットすることばかりを求めていたけれど、実際には、その「合わなさ」を笑い合える時間こそが必要だったのだ。

六月の苗栗は、気まぐれな雨に支配されていた。午後に不意に降り出した激しい雷雨が、山々を深い、深い濃緑色に染め上げる。雨が止んだ後の空気は、濡れた土と青い草の匂いが混ざり合い、肌にまとわりつくような湿度を帯びていた。そんな中、日出溫泉渡假飯店の四十二度の碳酸泉に身を沈めた瞬間、世界から音が消えた。ただ、お湯が肌を撫でるかすかな摩擦音だけが、心地よいリズムとなって耳に届く。

弱アルカリ性の湯は、指先からゆっくりと、けれど確実に浸透してくる。皮膚の表面が滑らかに、ぬめりを帯びる。それはまるで、自分を包んでいた硬い殻が、温かな湯の中でゆっくりと溶け出していくような感覚だった。隣に座る君の肩が、白い湯気の中でぼんやりと霞んでいる。私たちは多くを語らなかったけれど、同じ温度の湯に浸かっているという事実だけで、言葉以上の何かが共有されていた。互いの体温を確かめ合い、ちょうどいい距離を探して、少しずつ歩み寄る。その不器用なプロセスこそが、愛というものの正体なのだろう。

翌朝、レストランで出された地瓜粥の、懐かしい甘さが口いっぱいに広がった。温かい粥に、少し塩気のある豆腐乳を添えて口に運ぶ。舌の上に広がる素朴な味わいが、冷えた体にゆっくりと染み渡っていく。窓の外では、雨上がりの太陽が、椰子の葉に溜まった雫をダイヤモンドのようにキラキラと光らせていた。その光景があまりに静かで、私たちはただ、粥が冷めるまで黙って座っていた。沈黙が心地よいと感じられるのは、ありのままの自分でいていいという、静かな許可が出ているからだろう。

私たちは、人生の多くの時間を「正解」を探して過ごしている。正しい言葉、正しい振る舞い、正しい関係性。けれど、あの山の中で、サイズの合わない下駄を履いて、ぬるぬるとした湯に浸かっていたとき、正解なんてどうでもいいと感じた。ただ、ここに君がいて、私がいて、同じ雨の匂いを嗅いでいる。それだけで十分だったのだ。欠けている部分があるからこそ、そこへ相手が入り込む余地が生まれる。空白があるからこそ、音楽は意味を持つ。私たちは、互いの不完全さを埋め合わせるのではなく、その不完全なままの輪郭を、ただ静かに慈しんでいた。

今でも、ふとした瞬間にあの下駄のカタンという音を思い出す。それは、私たちが互いのリズムを模索していた、あの夏だけの特別な周波数だった。完璧ではないけれど、心地よい。そんな不揃いな歩幅で、私たちはこれからも、ゆっくりと歩いていける気がしている。

雨が上がり、空に透き通った薄い青が戻ってきた。

  • 四十二度の美人湯に浸かった後、テラスから山々の深い緑を眺める時間を。
  • 朝食の地瓜粥と豆腐乳の組み合わせは、心まで温まるのでぜひゆっくりと。