← 戻る シャインムードリゾート

10月の苗栗を撫でる風は、冷たさと温かさのちょうど境界線にあるような、定義できない曖昧な温度をしていた。山々に漂う湿った土の香りと、どこか遠くで鳴く鳥の声が、日常から切り離された場所へ来たことを告げている。ロビーで受け取ったスリッパが僕の足には少しだけ大きく、かかとが心許なく浮いている。それに気づいた君が「なんだか、大きな子供みたい」と小さく笑ったとき、僕たちはまだ、お互いの正解を模索している途中

10月の苗栗を撫でる風は、冷たさと温かさのちょうど境界線にあるような、定義できない曖昧な温度をしていた。山々に漂う湿った土の香りと、どこか遠くで鳴く鳥の声が、日常から切り離された場所へ来たことを告げている。ロビーで受け取ったスリッパが僕の足には少しだけ大きく、かかとが心許なく浮いている。それに気づいた君が「なんだか、大きな子供みたい」と小さく笑ったとき、僕たちはまだ、お互いの正解を模索している途中の二人だったのかもしれない。享沐時光莊園渡假酒店の廊下を歩けば、足元に広がる厚い絨毯が僕たちの足音を完全に飲み込み、世界に二人きりになったかのような錯覚に陥る。自分の足音が聞こえないという感覚は、どこか現実感を希薄にさせ、その分、隣を歩く君の衣擦れの音や、時折漏れる小さいため息が、驚くほど鮮明に耳に飛び込んでくる。音は、言葉よりも正直な情報だ。君が今、何を考えているのか、期待に胸を膨らませているのか、それとも微かな不安を抱えているのか。そんな心の揺らぎが、歩くリズムから静かに伝わってくる。案内されたダブルベッドの精緻房の扉を開けると、まず出迎えたのは、プライベートな湯船から立ち上る白く濃密な湯気と、かすかに響く水の音だった。裸足で触れたタイルのひんやりとした感触が、足裏からゆっくりと体温を奪っていく。その冷たさが心地よくて、僕はわざとゆっくりと歩いた。でも、その冷たさがあるからこそ、お湯に身体を沈めた瞬間の、あの感覚が際立つ。それは、ずっと緊張して強張っていた肩の力が、ふっと抜ける瞬間に似ていた。あるいは、長い間止めていた呼吸を、一度だけ深く、ゆっくりと吐き出すときの、肺の奥が緩む感じ。心地よい諦めのような、深い解放感。僕たちは、どちらが先に口を開くか、あるいは開かないままでいいのか、そのタイミングを計っていた。水面に浮かぶ小さな気泡が、静かに弾けて消えていく。その音さえ聞こえそうな静寂の中で、君の肩が僕の肩に、ほんの数ミリだけ触れた。そのわずかな接触が、どんな言葉よりも雄弁に、今の僕たちの距離を教えてくれた気がする。もしかすると、僕たちは言葉で分かり合うことよりも、こういう皮膚感覚の共有を必要としていたのかもしれない。お湯から上がった後、厚手のタオルに包まれると、石鹸の淡い香りが指先から漂ってきた。その香りは、誰の記憶にもないけれど、どこか懐かしい匂いがした。夕食に出たユアンヤン鍋の、出汁の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。鮮やかな赤いスープと、柔らかな白いスープ。どっちから食べるか迷っている君の横顔を眺めながら、僕は、僕たちが似ていないところを静かに数えていた。好きな色、歩く速度、眠りにつく時間。でも、その違いこそが、これから二人で埋めていく空白のようなものだと思えた。空白があるからこそ、そこに新しい記憶を書き込める。翌朝のビュッフェでは、皿に盛りすぎた僕を見て、君が「本当に全部食べ切れるの?」と、呆れたように、でもどこか楽しそうに笑った。配膳ロボットが静かに横を通り過ぎるモダンな空間で、そんなどうでもいい失敗が、心地よいリズムになる。部屋に戻り、白いリネンのシーツに身を沈めたとき、その柔らかさが身体の輪郭を曖昧にしていくのを感じた。窓の外に広がる秋の景色は、派手な色彩はないけれど、どこか誠実だ。10月の光は、すべてを優しく包み込むのではなく、あるべき場所に光を当て、あるべき場所に影を作る。僕たちは、完璧な旅を計画していたわけではない。ただ、お互いの呼吸が、心地よく重なる場所を探していただけなのかもしれない。もしかしたら、答えなんてどこにもなくて、ただ一緒にここにいるという事実だけが、今の僕たちにとっての正解だったのだ。

  • 部屋の湯船で、あえて会話を止めて、水の音だけを二人で聴いてみる。
  • ユアンヤン鍋のスープを、どちらから攻めるか、小さく相談しながら味わう。