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記憶に刻まれた、予想外の5つの断片

指先に触れる冷たい空気と、しっとりと湿った土の匂い。2月の苗栗は、世界が白いカーテンに包まれているみたいに、どこまでも曖昧な景色が広がっていた。私たちはそんな静謐な場所で、あえて「誰が一番このラグジュアリーな空間に似合わないか」という、どうでもいい賭けをすることにした。結果的に、全員がシワだらけのTシャツか、サイズの合わないスウェットでロビーに現れたけれど、それが正解だった気がする。完璧すぎる空間に、あえて不完全な自分たちを放り込む快感。それがこの旅の心地よい始まりだった。

記憶に刻まれた、予想外の5つの断片

「誰が一番不釣り合いか」という、くだらない賭けの結末
大理石の床が鏡のように光り、高級なディフューザーの香りが漂うロビーで、私たちは互いの格好を静かに、けれど容赦なく揶揄し合った。「ねえ、その靴下、本気で履いてきたの?」というツッコミに、派手な色の靴下を履いた友人が誇らしげに笑う。完璧な場所で完璧に振る舞うよりも、わざと隙を作る方が、ずっと呼吸がしやすい。そんな当たり前のことに、贅沢な空間に身を置くことで改めて気づかされた瞬間だった。

冷池と熱池、温度の境界線で揺れる意識
客室に備えられた独立した温泉に浸かったとき、まず驚いたのはその温度のコントラストだった。キンと冷えた冷池に身を沈めた瞬間の鋭い刺激と、その後に熱い湯に包み込まれたときの、皮膚がじわりと緩む感覚。17度の外気と熱い湯の温度差が、自分がどこまでで、どこからが水なのかという境界線を曖昧にしていく。湯気で視界がぼやけ、窓の外の霧と溶け合うとき、日常で張り詰めていた心の輪郭が、ゆっくりと消えていくのが分かった。

鴛鴦鍋の湯気の向こう側で、不器用にこぼれた本音
夕食に囲んだ鴛鴦鍋(ユアンヤン鍋)の、二つの異なるスープがぶつかり合う境界線。食材が激しく沸騰する心地よい音を聞いていると、不思議と深い話がしやすくなる。立ち上る白い湯気が顔にかかり、視界が適度に遮られるから、相手の目を直視しなくていい。その絶妙な距離感のおかげで、普段は照れくさくて言えないような、ちょっとした弱音や本音が、スープの香りと一緒に自然に混ざり合っていった。

午前6時の白銀の世界、心地よい迷子になる快感
早起きして外に出ると、世界は完全に白に染まり、まるで巨大なキャンバスの中に放り出されたようだった。数メートル先までも見えない深い霧の中を歩いていると、心地よい不安が胸をかすめる。「マジでどこに向かってるの?」と隣で笑う友人の声だけが、唯一の確かな道標だった。目的地に辿り着くことよりも、今この瞬間、一緒に迷っているという事実の方が、ずっと価値があるように思えた。

コーヒーの香りと、贅沢なまでの「何もしない時間」
享沐時光莊園渡假酒店のVIPルームに足を踏み入れたとき、まず心を奪われたのは、その圧倒的な余白だった。広々とした空間に漂う淹れたてのコーヒーの香りと、ふかふかのリネンがもたらす絶対的な安心感。タイルの冷たさとカーペットの柔らかさが交互に足裏を刺激するなか、誰が一番先に寝落ちするかを競いながらベッドに沈み込む。その贅沢なまでの「何もしない時間」こそが、最高の贅沢だったのだと確信した。

これらの断片が積み重なって

一つひとつは、なんてことない、むしろ少しだけ不器用な瞬間だったかもしれない。けれど、それらが重なり合ったとき、旅は単なる「観光」ではなく、私たちだけの秘密の共有に変わった。贅沢な設備や美しい景色は、あくまで背景に過ぎない。本当に心地よかったのは、その贅沢さの中で、遠慮なくくだらぬ会話を楽しみ、一緒に迷い、一緒にだらけることができたという、精神的な自由さだったのだと思う。

霧が晴れたあとの、冷たくて澄んだ空気を深く吸い込んだ。

  • 2月の苗栗は想像以上に冷えるので、あえて「やりすぎ」なくらい厚手のルームウェアを持参して。
  • 鴛鴦鍋を囲むときは、スマホを置いて、湯気の向こう側にある友人の声にだけ耳を澄ませてみて。