← 戻る 石風温泉キャッスル

「免許返納していいよ」から始まった午後

「ねえ、本当にここでお泊まり?冗談でしょ」
「だから言ったじゃん。石の風が吹くお城だって」
「お城っていうか、迷い込んだ感すごすぎない?誰か一人くらい、途中で消えても気づかれないレベルだよ」
「あはは!じゃあ誰が最初に消えるか賭けようか。それより、このGPSのせいで30分も遠回りした責任、誰が取るの?」
「私のせいにするなよ。だって、この道、明らかに『こっちに来て』って顔してたし」
「道に顔があると思って運転してたなら、今すぐ免許返納していいよ」

車内に充満する冷房の匂いと、外のむせ返るような熱気が入り混じる中、私たちは互いを散々いじり合いながら、重厚な門をくぐった。湿った夏の空気に、遠慮のない笑い声が心地よく溶けていく。

呼吸する石と、静寂という名の器

裸足で踏んだフロアのタイルが、驚くほどひんやりとしていた。外は八月の苗栗。肌にまとわりつくような湿度と、いつ降り出すかわからない重たい雲が空を覆っている。けれど、苗栗大湖石風溫泉渡假城堡の門をくぐった瞬間、空気の密度がふっと変わった気がした。

案内された客室は、驚くほど広々としていた。レビューにあった通り、別荘のような開放感があり、自分の咳払いがわずかに反響するその空間は、外の世界から切り離された「静寂の器」のようだ。壁にそっと手を触れると、石の誠実な冷たさが指先に伝わってくる。それは不快な冷たさではなく、旅の疲れで火照った身体を静かに受け止めてくれる、慈しみのような温度だった。窓の外には雨上がりの庭園が広がり、濡れた葉の深い緑が視界を塗り潰している。その濃密な色彩に、不思議と心が凪いでいくのがわかった。

おやつに頼んだ草莓雪花冰が運ばれてくると、真っ赤な色彩が、青みがかった部屋の光の中で鮮やかに浮き上がった。スプーンですくい、口に運ぶ。甘酸っぱい香りが鼻を抜け、氷の鋭い冷たさが喉の奥まで突き抜けた瞬間、それまでの騒がしさが嘘のように消えていった。氷がゆっくりと溶けていく速度に合わせて、心の中にある名もなき焦燥感までもが、静かに形を失っていく。完璧な計画なんて、最初から必要なかったのかもしれない。道を間違え、予定にない時間を消費すること。その空白こそが、旅の中で一番贅沢な部分なのだと、冷たい氷が教えてくれた。

湯気に溶かした、本当のこと

「……ねえ、ぶっちゃけ、今のままでいいのかな」

湯気に包まれた静寂の中、誰かがぽつりと呟いた。昼間の賑やかさが嘘のように、そこにはただお湯が流れる音だけが響いている。半開放的な湯屋の空間を、夜の涼しい風が通り抜けていった。

「何が?」
「全部。仕事とか、将来とか。正解を選んでる自信が全然ないんだよね」
「うーん、どうだろうね。私もよくわからないけど」

私は、お湯に浸かって境界線が曖昧になった自分の指先をじっと見つめた。皮膚がふやけ、自分という個体の輪郭が溶け出していく感覚。

「でも、不安っていうのは、ある種のコンパスみたいなものだと思うよ。怖いと感じる場所や、避けたい感情の中にこそ、自分が本当に知りたい答えが隠れているんじゃないかな」
「コンパスか。今の私は、針がぐるぐる回って使い物にならない状態かも」
「いいじゃん。方向がわからないまま漂うのも、贅沢な時間だよ。だって、今こうして苗栗大湖石風溫泉渡假城堡の温かいお湯に浸かってるんだし」

相手が小さく笑った。その声は、昼間の鋭いロースティングとは違う、とても柔らかい質感を持っていた。私たちは、答えを出すことをやめた。ただ、お湯の温度がちょうどいいことと、隣に誰かがいることだけを、静かに受け入れていた。

濡れた石畳に、オレンジ色の街灯がぼんやりと滲んでいた。

  • 8月の午後は、ぜひ草莓雪花冰を。冷たさが思考をリセットしてくれます。
  • 湯屋での時間は、あえて時計を外して。お湯の温度だけを信じてみてください。