「誰が一番に忘れ物をするか」という馬鹿げた賭けをしていたけれど、結局、全員が充電器を忘れるという最悪の展開になった。タクシーのひんやりとしたレザーシートに体を押し付け、車窓に流れる十二月の熱海の街を眺める。頬を打つ風は鋭く、冷たい空気が肺の奥まで入り込む。私たちは自然と肩を寄せ合い、くだらなさに笑い転げた。あの時の、少しだけ心細くて、けれど心地よい冬の震えが、今も指先に残っている。
ダイニングに足を踏み入れた瞬間、鼻腔をくすぐったのは、湿った薪が燃える芳ばしい匂いと、濃厚な潮の香り。目の前のオープンキッチンでは、炭火がパチパチと小気味よい音を立てて爆ぜている。原始焼きの魚がじっくりと熱を帯びていく様子を眺めていると、視界に赤い光の粒が舞った。脂が炭に落ち、一瞬だけ白い煙が幻想的に立ち上がる。その熱気と香りが、空腹を心地よい刺激へと変えていった。
翌朝の薬膳朝食。一人だけ「これ、完全に薬の味がするよ」と大げさに嘆いていた友人が、気づけば誰よりも速いスピードで小鉢を空にしていた。「口ではそう言いながら、完食してるじゃないか」と私たちが突っ込むと、本人は照れくさそうに視線を逸らす。健康にならなきゃいけないという強迫観念か、あるいは単に食欲に抗えなかったのか。結局はただ、美味しいものが好きだということだけが、唯一の正解なのだろう。
テラスに出た途端、冬のいたずらな風が容赦なく髪をかき乱した。最高のポートレートを撮ろうと意気込んでいたけれど、結果としてフォルダに溜まったのは、全員の顔が歪んだひどい写真ばかり。でも、それがいい。完璧な構図よりも、風に煽られてなりふり構わず笑い転げたあの瞬間の方が、ずっと鮮明に記憶に焼き付いている。きっと、そういう不格好な時間こそが、旅の正体なのだ。
最上階の茶寮で、熱海湾が深いインディゴブルーに染まっていくのを静かに眺めていた。手の中にあるカップから伝わる熱が、じわじわと指先から体温へと溶け込んでいく。誰かが何かを喋っていたけれど、途中でふっと会話が途切れた。けれど、その静寂が全く気にならなかったのは、隣にいるのが、沈黙さえも心地よく共有できる相手だったからだ。空の色が夜へと溶ける速度に、ただ身を任せていた。
部屋に戻り、裸足でフローリングを踏みしめる。テラスバスツインの部屋に漂う、清々しい木の香りと、ひんやりとしたタイルの温度から温もりのある木の質感へと変わる境界線。ベッドに深く体を沈めると、パリッとしたリネンの感触が肌に心地よく触れた。窓からベッドまで、ゆっくりと数歩歩く。その短い距離に、自分たちだけの小さな宇宙が広がっているような、不思議な安心感に包まれた。
大晦日の夜、夜空に巨大な花火が咲いた。視界を塗りつぶすほどの鮮やかな光が、一瞬だけ世界を昼間のように白く照らし出す。目を閉じても、瞼の裏にその光の残像が色鮮やかに踊っていた。誰が何を言ったかはもう思い出せないけれど、ただ、隣で誰かの肩が触れていたことだけを覚えている。その確かな体温が、一年で一番心強いと感じた瞬間だった。
チェックアウトして駅へ向かう道すがら、私たちはまた次の旅の計画を立て始めた。きっとまた誰かが忘れ物をするし、計画通りにいかないこともたくさんあるだろう。けれど、SOKI ATAMI / SOKI ATAMI で過ごしたあの静かな時間と、炭火の熱い記憶があるから、冬の寒さもそれほど悪くないと思える。私たちは、少しだけ新しくなった自分たちを連れて、日常という名の戦場へと戻っていく。
冷たい空気の中で、誰かの笑い声だけが白く弾けていた。
- 炭火の原始焼きを囲んで、誰が一番多く食べるか賭けてみて。最高に贅沢な戦いになるから。
- 朝の薬膳カレーを食べて、無理やり健康な気分に浸ってみて。その後の散歩が不思議と軽くなるよ。