午前二時の空腹と、静寂を破るじゃんけん
11月の別府の夜気は、肺の奥まで冷たく突き刺さる。街の至る所で白い湯気が立ち上り、夜の闇に溶けていく様は、街全体が深い溜息をついているかのようだった。ANAインターコンチネンタル別府リゾート&スパの重厚なドアを閉めた瞬間、外の冷気は遮断され、しっとりとした木の香りと、リゾート特有の穏やかな温もりに包まれる。けれど、私たちの心はまだ、昼間に見た紅葉の鮮やかさと、予定より一時間遅れて始まった芸術花火の残像で騒がしかった。誰かがふと「お腹空いた」と呟いたとき、部屋に奇妙な沈黙が流れる。私たちはこの旅で「誰が一番計画を台無しにするか」という密かな賭けをしていたが、結果的に全員が心地よい疲労感に支配されていた。結局、じゃんけんで負けた私が、厚手のコートに身を包んでコンビニまで走ることになった。夜道を歩けば、遠くで温泉の硫黄の香りがかすかに漂い、冷たい風が頬を打つ。戻ってきたとき、指先は感覚を失うほど冷えていたが、ビニール袋の中でカサカサと音を立てる地元のスナック菓子と、キンキンに冷えたサイダーの重みが、なんだか誇らしかった。
結露するボトルと、心地よい計画の崩壊
「ねえ、信じられないと思うけど、私たち、今回の旅で『効率的に回る』って誓ったよね?」
ベッドにどっしりと腰掛けた友人が、私が買ってきた地元の柿のお菓子を口に放り込みながら、呆れたように笑った。私は冷えたサイダーのボトルをテーブルに置く。ボトルの表面には細かな水滴がついた結露がびっしりと張り付いていて、それがゆっくりと大きな雫になって、高級感のある木製テーブルの上に小さな輪染みを作っていく。
「っていうか、あの花火の待ち時間、あれは何だったの。誰があんなに遠い場所を提案したんだっけ」
「まあ、結果的にあそこから見た景色が一番綺麗だったし。いいじゃん、そういうの」
「いいわけないでしょ。おかげで足はパンパンだし、もう一歩も動けない。あー、でもこのサイダー、めちゃくちゃ美味しい。この絶妙な甘さが、疲れ切った体に染みるわ」
私たちは、予定表に書き込まれた「訪れるべき名所」のリストを、まるで使い古したティッシュのように適当に丸めて脇に置いた。ANAインターコンチネンタル別府リゾート&スパの客室は、驚くほど静かだ。外界の喧騒が完全に遮断されていて、聞こえるのは自分たちの笑い声と、お菓子の袋が開く乾いた音、そして遠くでかすかに聞こえるスパの静謐な気配だけ。私たちは、計画通りにいかなかったこと、道を間違えて迷い込んだ路地の美しさ、そして全員が揃って二度寝した朝のことについて、互いにツッコミを入れ合いながら、深夜の宴を続けた。完璧な旅なんて、きっと退屈でしかない。こういう、想定外の空白にこそ、本当の意味での「旅」が潜んでいる気がする。
輪染みが乾く頃、訪れる深い安らぎ
お菓子が底をつき、サイダーのボトルが空になると、会話のテンポも自然とゆっくりになっていった。部屋の照明を落とすと、窓の外に広がる別府の街の灯りが、淡い光の粒となって部屋の中に流れ込んでくる。遠くに見える温泉の湯気が、街の輪郭をぼやかしていた。ふと気づくと、テーブルの上に残っていたボトルの輪染みが、ゆっくりと乾いて消えかかっていた。それは、私たちがここで過ごした、名前のない時間の証明のようなものだったかもしれない。ふかふかの絨毯に足を沈め、重い掛け布団に潜り込む。肌に触れるリネンのひんやりとした質感と、その後にやってくる体温の温もり。誰かが小さく寝息を立て始めた。私たちは、何か大きな答えを見つけたわけではないし、明日になればまた、それぞれの日常という波に飲み込まれる。けれど、この部屋で共有した「計画外の時間」という重みが、心のどこかに静かに積み重なっている。それは、どんなに豪華な観光ルートよりも、ずっと確かな手触りを持って私の中に残っているという気がする。
窓の外で、別府の街が静かに白い息を吐いていた。
- コンビニで買える大分県産の「かぼすサイダー」と、地元の柿のお菓子。
- 深夜、部屋の明かりを消して、窓から見える街の湯気を眺める時間。