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指先に残った、古い木の温もり

指先に残った、古い木の温もり

古材の香りに、ほどけていく心

別府駅からホテルまで歩く11分間、空気は刺すように冷たく、吐き出す息は白く濁っていた。8.6度という数字は単なるデータに過ぎないが、肌に触れる感覚はもっと切実で、私たちはわざと少しだけ距離を置いて歩いていた。誰が先に手を繋ぐか、あるいは繋がないか。そんな小さな駆け引きが、冬の街の喧騒に混じっていた。けれど、MURE Beppuの扉を開けた瞬間、鼻腔をくすぐったのは、深く、静かな古材の香りだった。長い年月を経て角が取れた木の質感と、包み込むような温かな照明。ロビーに足を踏み入れたとき、外の冷気で強張っていた肩の力が、ふっと抜けるのがわかった。私たちはまだ、お互いのリズムに慣れていない。誰かが口を開けば、もう一人が黙る。そんな不器用な調律を繰り返しながら、古い木材が持つ独特の沈黙に身を委ねる。それは、何かを無理に埋めようとするのではなく、ただそこにあることを許してくれる、心地よい空白のような時間だった。

静寂が塗り替える、二人の距離

部屋へと向かう廊下は、外の世界とは全く異なる時間が流れていた。厚い絨毯が足音を静かに吸い込み、世界から音が消えていく。聞こえるのは、隣を歩く君の、少しだけ速い呼吸の音だけ。照明は控えめで、壁に落ちる影がゆっくりと伸びては縮んでいた。私たちは言葉を交わさなかったけれど、廊下の突き当たりに近づくにつれて、不思議と心の距離が縮まっていく感覚があった。それは物理的な距離というよりも、お互いの周波数がゆっくりと重なり合っていくような、静かな変化。カードキーがドアに触れる小さな電子音。その音が、私たちのプライベートな領域への合図のように響いた。廊下という移行地帯で、私たちは外でまとっていた「誰かが見ている自分」という薄い皮を、一枚ずつ丁寧に脱ぎ捨てていったのかもしれない。

湯気の向こうに、本当の輪郭を

デラックス和モダン「花梨-KARIN-」の扉を開けたとき、まず目に飛び込んできたのは、42.5平方メートルという空間がもたらす、贅沢な余白だった。裸足で歩くタイルのひんやりとした感触と、空間に漂う古材の落ち着いた芳香。そして、部屋の中にありながら、そこだけが別の世界であるかのような源泉掛け流しの湯屋。お湯を溜めるゴボゴボという規則的な音に耳を澄ませていると、心の中のざわつきが、水面へと溶け出していく気がした。湯船に体を沈めたとき、肌を包み込んだのは、ただの熱ではなく、地球の奥深くから届いた記憶のような温もりだった。立ち上る白い湯気が視界を遮り、君の輪郭がぼやけて見える。でも、そのぼやけた景色の中でこそ、私たちは本当の意味で向き合えた。すべてが見えすぎないことの方が、人を素直にさせるのかもしれない。

ふと思い出して笑ったのは、チェックインのあとに足湯カフェで食べたお団子のこと。甘いタレが少しだけ指についたとき、君が「あ、ついてるよ」と小さく笑って、それを拭おうとした瞬間。なんてことのない、本当に些細な出来事。けれど、その瞬間の空気の軽さが、この旅の中で一番心地よかった。完璧なプランなんて必要なかったのだと、湯気に包まれながら気づいた。シーツのパリッとした質感に身を沈めると、古材の香りがかすかに漂ってくる。ここでは、寂しさは解消すべき問題ではなく、ただ大切に抱えていればいい、体の一部のようなものに感じられた。私たちはただ、同じ温度の空気を吸い、同じ静寂を共有していた。

黄金色の街と、冷たいガラスの境界

夜、窓際に寄り添って外を眺めた。別府の街には、あちこちから白い湯けむりが立ち上っていて、それが夜の闇に溶け込んでいる。遠くに見えるクリスマスのイルミネーションが、黄金色の粒となって、冷たいガラス越しにこちらを眺めていた。ガラスに額を押し当てると、外の冷たさと室内の温かさが、ちょうど境界線でぶつかり合う。その温度差が、今ここにいることの確かさを教えてくれた。私たちは、互いに何も言わずに、ただ街の灯りがゆっくりと点滅するのを眺めていた。誰かと一緒にいるということ。それは、同じ景色を見て、同じタイミングで瞬きをすること。それだけで十分な気がした。もしかしたら、私たちはこれからも、うまく言葉にできない感情をたくさん抱えて生きていくのだろう。けれど、この夜に見た黄金色の街と、指先に残った木の温もりがあれば、それでいい。不完全なままで、隣にいていい。そう思える場所が、ここにはあった。

指先に残る木の温もりと、夜の静寂を抱きしめて。

  • 12月の別府駅からの11分間、冷たい空気の中であえてゆっくり歩く時間を。
  • 屋上の貸切露天風呂で、冬の夜空の深さと湯の温もりを二人だけで分かち合って。