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濡れたタオルの匂いと、溶けていく青

指先に残る、ほんの少しのねばつき。子供が障子に触れたあとの小さな跡を眺めていると、ここに来るまでの車中の騒がしさが、遠い記憶のように感じられる。後部座席で「まだ着かないの?」と繰り返していた幼い声や、お菓子の袋が破れる乾いた音。そういう、日常という名の小さなノイズをすべて抱えたまま、私たちはシーサイドホテル美松大江亭の畳の上に降り立った。

畳のい草の香りが、鼻腔の奥で静かに広がる。五月の空気はまだ少しだけひんやりとしていて、開け放った窓から入り込む風が、部屋の中の熱気をさらっていく。もしかすると、旅というものは、そういう「温度の差」を心地よく感じるためにあるのかもしれない。

喧騒を脱ぎ捨て、なぜ家族でこの静寂を分かち合うのか

家族と一緒に過ごすということは、ある種の心地よい緊張感を持って生きることだと思う。誰かの機嫌を伺い、誰かの歩幅に合わせる。それはまるで、表面張力でギリギリに保たれた水滴のような状態だ。崩れそうで崩れない、危ういバランス。けれど、このホテルの露天風呂付和室に身を投げ出したとき、その張り詰めていた膜が、ふっと溶け出す感覚があった。絹のような畳の感触が肌に伝わり、心まで柔らかく解きほぐされていく。

「広いね」と子供が呟いたけれど、本当は広さのことではなく、心の余裕のことだったのかもしれない。子供たちが畳の上でミニカーを走らせ、その小さな車輪が転がる音が心地よく部屋に反響する。荷物が散らばり、誰がどこに何を置いたか分からなくなる。けれど、ここではそれが許されている気がする。完璧な家族でいようとするのではなく、ただそこに居合わせて、同じ景色を眺めている。その心地よさは、濃いインクが水の中にゆっくりと拡散していくように、静かに、けれど確実に私たちを包み込んでいった。それこそが、私たちが本当に求めていた休息だったのだと思う。

子供たちの瞳に映った、忘れられない「青」の正体とは

屋上露天風呂に上がったとき、一番年下のあの子が、ふと足を止めて海を見た。別府湾の深い青が、五月の澄んだ空の青と溶け合って、どこまでが水でどこからが空気なのか分からない境界線。子供の目には、それが世界を飲み込む巨大なプールのように見えたのかもしれない。「ねえ、このお湯はどこから来てるの?」という、答えのない問いかけ。私たちは適当に「地球の底からだよ」と答えたけれど、あの子は納得した様子で、ただじっと白い湯気の中に消えていく景色を眺めていた。

源泉掛け流しの温かな湯が肌を包み込み、同時に五月の風が頬を撫でる。その鮮やかな温度差が、今ここで生きているという実感を鮮明にさせてくれる。子供たちが水しぶきを上げて笑い、大人がそれを苦笑しながら見守る。そんな、なんてことのない時間が、実は人生で一番贅沢なことなのではないかという気がする。お湯の中で指を絡ませたとき、その確かな温もりだけが、今の私たちにとっての唯一の正解だった。

旅路の果てに、心に深く刻まれるものは何か

チェックアウトの準備をしながら、ふと気づく。あんなに騒がしかった子供たちが、今は静かに、心地よい疲れの中でまどろんでいる。お風呂上がりの、少しだけ赤くなった頬と、石鹸の清潔な匂いがする濡れたタオル。そういう、写真には写らない小さな断片こそが、記憶の底に深く沈殿していく。

私たちは、何か特別な体験を求めて旅に出るけれど、結局に記憶に残るのは、こういう「隙間」のような時間だ。誰かが誰かの肩に頭を預けて眠った瞬間や、朝食のテーブルで、地元の食材を使った料理を頬張ったときの、あの得も言われぬ満足感。シーサイドホテル美松大江亭の静かな流れが、私たちの心の中にある澱を、ゆっくりと洗い流してくれたような気がする。帰る場所があるからこそ、ここでの静寂が、より深く、意味を持つ。

窓の外では五月の新緑が風に踊り、遠くで誰かの笑い声が溶けていく。

  • 屋上露天風呂で、海と空の境界線が消える魔法のような瞬間を、ぜひお子様と一緒に探してみてください。
  • 露天風呂付和室の畳の上で、あえて時計を忘れ、家族で何もしない贅沢な時間を30分だけ作ってみてください。