← 回到 Resorpia 別府

浴衣の帯がうまく結べなかった午後

ひんやりとしたロビーのタイル。裸足で駆け出した次男の足音が、リゾーピア別府の開放的な空間に、小さく、けれど速いリズムで跳ねている。「あ、待って!」と叫ぶ私の声さえ追い越して、彼は光の粒のように走り去る。脱げかかったサンダルが床に張り付き、ぺたぺたという湿った音が追いかけてきた。大人はそれを追いかけながら、ただ笑うしかない。旅の始まりはいつも、緻密な計画とは違う方向へ心地よく流れていく。水面に投げられた石が作る波紋のように、小さな混乱が家族の間に広がっていく。この予測不能なリズムこそが、家族旅行というものの正体なのかもしれない。



湯船に体を沈めると、皮膚と水の境界線が曖昧になる。別府特有のほのかな硫黄の香りが鼻をくすぐり、表面張力に身を任せると、ゆっくりと、本当にゆっくりと、自分が液体に溶け出していくような感覚に陥った。お湯の温度が芯まで心地よく、凝り固まった肩の力がふわりと抜けていく。ここでは、誰かの親であることも、誰かの配偶者であることも、一時的に保留にしていい。ただの質量として、温かな湯に抱かれているだけ。立ち上る白い湯気に包まれて視界がぼやけると、世界には自分と、この至福の温もりだけが残った。それは、静かに深く、意識の底へ沈んでいく心地よさだった。


遠くで、低い音が響いた。ドスン、という。耳で聞くというより、胸の奥にある空洞を軽く叩かれたような、身体に直接届く振動。別府の夜空に大輪の花を咲かせた花火だ。部屋の窓を少しだけ開けると、湿り気を帯びた夜風と一緒に、火薬の焦げた匂いがかすかに混じって入ってきた。外の喧騒は遠いところにある。けれど、その地響きのような振動だけが、いま私たちが非日常の場所にいることを鮮明に教えてくれる。静寂と爆音。その極端なコントラストが、かえって部屋の中の密やかな安心感を濃くしているように感じられた。


口の中で瞬時に溶ける、かき氷の鋭い冷たさ。舌の上に残る粗い氷の粒と、どろりと濃厚なシロップの暴力的なまでの甘さ。子供たちの指先には、祭りで買った飴のベタつきが残り、それを拭うための濡れタオルが何度も必要だった。長男は「もう一度食べたい」とねだり、次男は口の周りを真っ赤にして、誇らしげに笑っている。決して洗練された食事ではないけれど、この不格好で贅沢な甘さが、八月の記憶に一番深く刻まれるのだろう。冷たさが喉を通るたび、夏の陽に火照った体が内側から静まっていくのがわかった。


午後六時。街全体が深い青に染まる、マジックアワーの時間。リゾーピア別府の窓から見える景色は、湿度を孕んだ空気のせいで、輪郭が水彩画のように少しだけ滲んでいる。街灯がぽつぽつと灯り始め、オレンジ色の光が青い闇に溶け込んでいく。その淡い光の移ろいを眺めていると、時間というものが直線ではなく、ゆっくりと渦を巻いて停滞しているような錯覚に陥る。「急ぐ必要なんて、どこにもないね」。誰が言い出したのか、私たちはただ、この青い時間が終わるまで、ぼーっと外を眺めていた。そんな贅沢な空白が、ここにはあった。


浴衣の帯。これがどうしてこんなに難しいのか。家族全員で取り組みながら、結局うまく結べず、ぐちゃぐちゃな結び目になった。夫が鏡の前で格闘し、最終的に出来上がったのは、なんだか大きな巻き寿司かブリトーのような不思議な形状だった。それを見た子供たちが、お腹を抱えて笑い転げる。おしゃれに決めようとしたはずなのに、結果的に一番笑える格好になった。けれど、その不器用な結び目こそが、私たちの「チーム」としての証のような気がして、私たちはそのまま誇らしげに外へ出ることにした。


冷房が心地よく効いた部屋に戻り、真っ白なシーツの上に全員で倒れ込む。肌に触れるリネンのひんやりとした感触と、外から持ち込んだ体の熱。それが混ざり合い、心地よい倦怠感へと変わっていく。隣で寝息を立て始めた子供たちの、規則正しい呼吸の音。そのリズムに合わせるように、私の呼吸もゆっくりと深くなっていく。日常に戻ればまた混乱が待っているけれど、いまこの瞬間、同じ空間で同じ疲れを共有しているということが、何よりも確かな充足感として胸に溜まっていく。

濡れたサンダルの跡が、床に小さく残っていた。

  • 子供と一緒に浴衣を着るなら、帯の結び方にこだわりすぎず、不格好さを笑い合える余裕を持つこと。
  • 祭りの後の温泉は最高に贅沢な時間。子供たちが寝静まった後、大人の時間としてゆっくり浸かってほしい。