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波の音が、指先に触れた夜

「この色、似合ってるかな」

「この色、似合ってるかな」
鏡に映る自分を不安げに見つめる君に、僕は小さく頷いた。
「うん、すごくいいと思うよ」
そう答えたけれど、僕の視線は言葉よりも、浴衣の帯を締めようとしてもままならない、もどかしい指先の動きに吸い寄せられていた。七月の別府は、しっとりと湿り気を帯びた空気が肌にまとわりつき、部屋にはエアコンの低い唸り声だけが静かに響いている。僕たちは、どちらからともなく、鏡の前で少しだけ距離を詰めた。

境界線が溶けていく青の記憶

裸足で踏みしめた琉球畳の、しっとりと心地よい感触が足裏から伝わってくる。レックスホテル 別府 / REX HOTEL Beppuのロイヤルルームに足を踏み入れた瞬間、僕たちを包み込んだのは、視界のすべてを塗り潰すほどの深い青だった。窓の外に広がる別府湾が、まるで部屋の中まで静かに流れ込んできているような錯覚に陥る。ロビーの木の床を歩いたときの、コツコツという乾いた音が、部屋に入った瞬間に畳の柔らかさに吸い込まれていった。

専用バルコニーにあるインフィニティ露天風呂に身を沈めると、目の前の水面と遠くの水平線がひとつの線で繋がった。それは、表面張力でひとつの雫が危うく保持されているときのような、静かな緊張感に似ていた。お湯の温度が心地よく、肩まで浸かると、自分の体の境界線がどこまでで、どこからが別府の海なのか、分からなくなる。感情というものは、きっとこういう流体のようなものなのだろう。形を持たず、ただ隣にいる相手の温度に合わせ、ゆっくりと混ざり合っていく。夕暮れ時、空が紫から深い藍色へと溶けていくグラデーションを眺めながら、僕たちは心地よい沈黙に身を委ねていた。

ふと、君が笑った。浴衣の裾を少し踏んで、おっとっと、とバランスを崩した拍子に、僕の肩に柔らかな手が触れた。その小さな揺らぎが、静止していた時間に心地よい波紋を広げる。完璧な旅なんてなくていい。むしろ、そういう不器用な瞬間があるからこそ、隣にいる人の体温が、確かな情報として伝わってくる。私たちは、互いのリズムを合わせる方法を、この街の湿度の中でゆっくりと探していたのかもしれない。

翌朝、部屋に満ちた本格的なドリップコーヒーの香ばしさと、朝食に添えられた地元の漬物の、少しだけ酸っぱくて後から甘みが追いかけてくる不思議な味わい。それを口にしたとき、僕たちは同時に「美味しいね」と微笑み合った。言葉にするまでもなく、同じ周波数の心地よさに浸っていた。ベッドからバルコニーまでの数歩の距離さえも、今は贅沢な静寂に満ちている。七夕の夜、街に灯った提灯の明かりが、水面に反射して揺れていた。花火が上がる直前の、あの張り詰めた静寂。隣にいる君の呼吸が、僕の鼓動とゆっくりと同期していく。僕たちはまだ、お互いのことをすべて知っているわけではないけれど、この深い青の中に身を任せている間だけは、その不確かささえも、ふたりの間にある心地よい余白なのだと感じた。

濡れた髪から滴る水滴が、白いシーツの上に小さな円を描いていた。

  • 帯がうまく結べないときは、いつでも遠慮なく頼ってね。
  • 次は、あえて計画をひとつも立てずに、この海を眺めて過ごそうか。