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湯気の向こうで、誰かが笑っていた

湯気の向こうで、誰かが笑っていた

なぜ、不完全な家族のままでこの場所へ向かったのか

2月の別府駅に降り立った瞬間、肺の奥まで刺すような冷たい風が吹き抜けた。湿り気を帯びた冬の空気が頬を叩き、スーツケースがアスファルトを叩く乾いた音が、静まり返った街に鋭く響く。寒さで機嫌を損ねた子供たちは、小さな足で地面を蹴り、「まだ着かないの」と不満を漏らしていた。親としての焦燥感が、冷たい空気と共に胸に溜まっていく。けれど、亀の井ホテル 別府の重い扉を開けた瞬間、世界は一変した。そこには、かすかに硫黄の香りが混じった、懐かしく柔らかな温もりが溜まっていた。まるで、冷え切った心を包み込む大きな毛布にくるまれたような感覚だ。

私たちはトリプルルームに身を寄せ、脱ぎ捨てられた靴下やあちこちに散らばったおもちゃに囲まれる。正直に言えば、私は「完璧な家族旅行」という幻想をとうに捨てていた。どこへ行っても誰かが泣き、予定は狂う。けれど、このホテルにあるのは、過剰な演出ではなく、ある種の「寛容さ」だった。駅からの徒歩5分という距離は、単なる移動時間の短縮ではなく、親にとっての精神的なセーフティネットだ。歩き疲れて爆発しそうになる前に、暖かい聖域に辿り着ける。その安心感が、旅に本当の余裕をもたらしてくれるのだと感じた。

子供たちの瞳を一番に輝かせたのは、どんな発見だったか

大人が温泉の温度や効能に心を砕いている間、子供たちはすでに3階のキッズコーナーに陣取っていた。そこは、大人が設計した機能的なスペースというより、誰かが大切に保管していた昭和の記憶がそのまま漏れ出してきたような、不思議な時間軸を持つ場所だ。スーパーボールすくいの水面がゆらゆらと揺れ、極彩色の球体が水中で宝石のように踊っている。上の子が真剣な眼差しでポイを操り、下の子がその横で、手に入れたボールをカーペットに何度も跳ねさせていた。ポヨン、ポヨンという、低く弾む音が耳に心地よく響く。

そして、駄菓子コーナー。そこには、大人たちがいつの間にか忘れていた「選ぶことの贅沢」があった。10円、20円という小さな単位で、自分だけの宝物を集めていく時間。子供たちは、どの飴が一番美味しいか、どのガムが一番長く味が続くかを、まるで国家予算を決定するかのような真剣さで議論していた。「ねえ、これ一緒に食べようよ」と、下の子が自分の分のお菓子を上の子の手のひらにそっと分ける。そんな小さな、けれど確かな愛情のやり取りを、私は少し離れたところから、胸が熱くなる思いで眺めていた。

実は、私自身もこっそり駄菓子を一つ選んでいた。指先に触れるプラスチックの安っぽい感触と、口の中に広がる強烈な甘さ。それは、私が子供だった頃に感じた、あの「小さな自由」の味だった。子供たちの瞳に映る世界は、大人が思うよりもずっと鮮やかで、単純で、そして残酷なほどに純粋だ。ここでは、その純粋さがそのまま受け入れられている。その空気が、親である私にとっても、最高の癒やしとなった。

旅路の果てに、心に深く刻まれたものは何か

最終日の朝、ビュッフェ形式のレストランは、心地よい喧騒に包まれていた。炊きたての米の香ばしい匂いと、地元料理が放つ湯気が、朝の眠気を優しく起こしてくれる。お皿が触れ合う音、誰かが笑う声。窓の外に広がる別府の街並みは、薄い霧に覆われていて、建物の輪郭が柔らかくぼやけていた。その景色を見ていると、家族という関係性も、同じように柔らかい境界線で結ばれているような気がした。

温泉に浸かっているとき、視界を白く染める湯気が、現実の輪郭をゆっくりと消し去っていく。熱いお湯が肌に触れた瞬間、体の中にある強張ったものが、ゆっくりと溶け出していく感覚。それは、言葉にできないけれど、確かな「安心」の形だった。「お湯、あったかいね」と呟いて私の手を握った子供の、小さく温かい手のひら。その温度こそが、どんな豪華なアメニティよりも、私の心に深く刻まれた。

旅が終われば、また日常という戦場に戻る。洗濯物が山積みになり、誰かが宿題を忘れ、慌ただしい朝がやってくる。けれど、別府の湯気の中で、私たちは少しだけ、お互いのことを深く理解できたかもしれない。正解のない問いを抱えたまま、それでも一緒に笑い合えること。その不完全な心地よさを、私たちはこのホテルに置いてきたのではなく、心の中に大切に詰め込んで持ち帰ったのだと思う。

湯気の向こう側で、家族の笑い声が白く溶けていった。

  • 3階のキッズコーナーでは、あえて予算を決めずに、子供たちが自ら選ぶ「小さな贅沢」を体験させてほしい。
  • 朝食後は、ホテルからすぐの別府公園まで、冬の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込みながら散歩するのがおすすめだ。