← 回到 別府溫泉 天空湯房 清海莊

畳の上の小さな足跡と、遠い花火の音

瑠璃色の海と、家族の体温が溶け合う朝の食卓

指先に触れる畳の感触が、心地よくひんやりとしていた。別府温泉 天空湯房 清海荘の客室に足を踏み入れたとき、まず心に飛び込んできたのは、凛とした静寂と清潔感だ。機能的な「抗菌畳」という言葉だけでは言い尽くせない、裸足で歩くたびに肌に吸い付くような安心感のある温度。朝7時、まだ意識が微睡みの淵にある時間帯に、上の子が「お腹すいた!」と賑やかに騒ぎ出し、その隣では下の子が、なぜか脱ぎ捨てた靴下を頭に乗せてはしゃいでいる。そんな、いつもの家と変わらない、けれどどこか特別な、愛おしい喧騒がここにはあった。

朝食のテーブルには、地元の彩りが凝縮された料理が並んでいた。子供たちは、大人が感心して眺めるような名産品よりも、目の前の瑞々しいフルーツや、ふっくらと炊き上がった白いご飯に夢中だ。私は、ゆっくりと時間をかけて、深く香るコーヒーを啜った。窓の外に広がる別府湾の深い瑠璃色が、室内の柔らかな黄金色の照明と混ざり合い、心地よい境界線を描いている。上の子がふと、「海が近すぎて、お部屋まで潮の匂いがしてくるね」と呟いた。その鋭い観察力に微笑ましくなりながら、私は彼らの口の周りについたジャムを丁寧に拭った。完璧に整えられた静寂よりも、誰かが誰かを世話しているという、この体温のある空間こそが、何よりの贅沢なのだと感じる。外ではうだるような8月の陽光が降り注ぎ始めていたが、この部屋の中だけは、穏やかな時間が凪のように流れていた。

白い湯気のヴェールと、地球の呼吸を味わう昼下がり

外へ一歩踏み出せば、そこは別府特有の、濃厚な硫黄の香りが立ち込める濃密な空気の世界だった。地獄蒸し工房へ向かう道すがら、下の子が不思議そうに「温泉って、どうしてあちこちから煙が出てるの?」と問いかけてきた。正直に言って、私にも正確な答えはわからない。けれど、「きっと地球さんが深呼吸をしているのかもしれないね」と適当に答えると、子供たちは納得した顔で、さらに深い湯煙の中へと突き進んでいった。私たちは、地元の人々が日常的に親しんでいる、大地の熱を利用した蒸し料理に挑戦することにした。

目の前で激しく立ち上がる真っ白な湯気。視界が遮られるほどの蒸気の中で、野菜や卵がじっくりと熱を帯びていく時間は、まるで自然が作り出した小さな実験室に迷い込んだかのようだった。出来上がった野菜を口に運ぶと、素材そのものの味が濃く、けれどどこか優しく体に染み渡る。上の子は、あまりの熱さに「ふーふー」と必死に冷ましていたが、結局我慢できずに口に入れ、顔を真っ赤にして飛び跳ねていた。その滑稽で純粋な様子に、周囲の大人たちからも小さく笑い声が漏れる。洗練されたレストランでの食事ではないけれど、汗をかきながら、不格好に蒸し上がったジャガイモを分け合う時間は、どんな高級料理よりも鮮烈に記憶に刻まれる。旅の途中で出会う食事とは、味そのものよりも、その時の温度や、隣にいる人の笑い声と共に記憶されるものなのだろう。私たちは、服にほんのりと硫黄の匂いを纏いながら、満ち足りた気持ちでホテルへと戻っていった。

夜風にほどける心と、畳の上に広がる深い静寂

夜、別府の街に色鮮やかな花火が打ち上がった。遠くで鳴る低い振動が、皮膚を通して心地よく伝わってくる。私たちは、別府温泉 天空湯房 清海荘の自慢である屋上の展望貸切露天風呂へと向かった。お湯に浸かった瞬間、ふわりと肌を包み込む濃密なぬくもりと、それとは対照的な、夜の冷たい風が頬を撫でる。上の子は、お湯の中で潜ろうとして大騒ぎし、下の子は、水面に浮かぶ小さな泡をじっと見つめていた。大人はただ、目の前に広がる別府の夜景を静かに眺めていた。街の灯りが点々と続き、その向こうに深い闇が広がっている。その鮮やかなコントラストが、今の自分たちの状況に似ているように感じられた。日中の賑やかな喧騒と、今この瞬間の、凪のような静けさ。

部屋に戻ると、子供たちはもう限界だった。浴衣の裾をずるずると引きずりながら、抗菌畳の上で丸くなる。夜食に用意した地元の小さなお菓子を、半分だけ食べたところで、二人は深い眠りに落ちた。静まり返った部屋で、私は彼らの規則正しい寝息を聞いていた。さっきまであんなに騒いでいたのが嘘のように、今はただ、小さな温かい塊となってそこに在る。私は、彼らが使ったタオルを丁寧に畳みながら、ふと思った。旅というのは、何か新しいものを発見することではなく、いつもの関係性を、違う景色の中で再確認することなのかもしれない。明日になればまた、靴下を頭に乗せたり、食事をこぼしたりする日常が戻ってくる。けれど、この別府の夜の匂いと、畳の感触、そして子供たちの穏やかな寝顔だけは、ずっと心の中に大切に置いておきたいと思った。

窓の外では、最後の一発の花火が、静かに夜空に溶けていった。

  • 別府湾の瑠璃色の景色を眺めながら、地元の瑞々しい果物をゆっくりと味わってほしい
  • 屋上の展望貸切露天風呂では、あえて言葉を捨て、夜風の温度だけを感じる時間を作ること