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湯気と空の境界線が消えた、あの時間

湯気と空の境界線が消えた、あの時間

湯煙の境界線、二つの夜

肌にまとわりつく、しっとりとした六月の夜気。別府温泉 杉乃井ホテルの「宙湯」に身を委ねると、微かに漂う硫黄の香りが鼻腔をくすぐり、心地よい温度が体の輪郭をゆっくりと溶かしていくのがわかった。視界の端では、別府の街の灯りが白い湯気に乱反射して、まるでプリズムを通した光のように淡くぼやけている。「ここが空なのか、お湯の中なのか」という曖昧な感覚に浸っていると、自分という存在が心地よい液体の心地よい一部になったような気がした。ただ静かに、世界が滲んでいくのを眺めていた。

耳に飛び込んできたのは、誰かが派手に湯船に飛び込んだ時の、鈍い水音だった。それから、あちこちで上がるくだらない笑い声。「見て、真っ白で何も見えないよ!」という誰かの叫び声に、湯気に包まれてぼんやりとした視界の中で、声のトーンだけで誰が笑っているのかがわかる。水面に反射する光が、笑うたびに小さく揺れていて、それがなんだか愉快だった。幻想的な写真を撮ろうとしたけれど、結果的に撮れたのは白いもやの中に浮かぶ正体不明の塊。それを見て全員で大笑いした、あの騒がしい温度感がたまらなく心地よかった。

舌先の記憶と、空間の呼吸

藁焼きの香ばしい匂いが、鋭く鼻腔を刺激する。和ダイニングで、目の前で焼き上げられる魚の皮がパチパチと小気味よい音を立てて弾ける様子を、僕は食い入るように眺めていた。口に運んだ瞬間に広がる、力強い塩気と炭の香りの完璧なバランス。それは、雨の日の湿っぽさを一気に塗り替えてくれるような、鮮やかな味だった。キンと冷えた飲み物が喉を通る時の、あの鋭い感覚。味覚という情報は、時に記憶を強烈に固定する。僕にとってこの旅の味は、この香ばしさと友人たちの賑やかな話し声が混ざり合った、少し騒がしい塩味として刻まれている。

見上げた先にあったのは、高さ六メートルもある天井と、そこから降り注ぐ淡い光だった。天窓に雨粒が叩きつける音が規則正しいリズムのように響き、それが店内の喧騒を心地よく包み込んでいる。古民家の古材を再利用したという欄間に指で触れると、少しだけざらついていて、長い年月を経てきた木の重みが指先から伝わってきた。海抜二百二十メートルという高さにいるはずなのに、不思議と地面にしっかりと足がついているような安心感がある。料理の彩りよりも、その空間が持つ静かな呼吸のようなものに、僕はずっと意識を向けていた。

唯一、僕たちが分かち合った静寂

結局、僕たちがこの旅で一番意見が一致したのは、デラックスルームに戻ってベッドに倒れ込んだ瞬間のことだった。足の裏に残る、地獄めぐりで歩き回った時の心地よい疲労感。そこに、さらさらとしたリネンの冷たい感触が重なる。深く沈み込むマットレスの弾力は、まるで今日一日の出来事をすべて受け止めてくれる大きな手のひらのようだった。誰からともなく「最高だね」と呟き、そのまま数分間、誰も何も喋らなかった。その沈黙は、共有された深い満足感のような重みを持っていた。

窓の外では、雨に打たれた紫陽花が、より深い藍色に溶け込んでいた。

  • 宙湯へ行くときは、街の灯りが灯り始めるマジックアワーを狙って、空と湯船の境界が消える瞬間を体験してほしい。
  • 和ダイニングでは、ぜひ目の前で仕上げる藁焼き料理を。あの音と香りは、写真では絶対に伝わらない旅の記憶になる。