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畳の端を指でなぞっていた、あの午後のこと

畳の端を指でなぞっていた、あの午後のこと

午後4時、い草の香りに包まれて、心の距離を測る

駅の改札を抜けた瞬間、鼻腔をくすぐったのは、別府の街が呼吸するように漂う、わずかな硫黄の匂いだった。9月の空気はまだ重い湿度を孕んでいて、肌にまとわりつくその感触が、旅の始まりを告げる心地よい合図のように感じられた。JR別府駅から「御宿 野乃別府 / Dormy Inn Beppu」まで歩く時間は、わずか1分。けれど、その短い距離があるからこそ、街の喧騒がゆっくりと遠ざかり、日常から切り離された静寂へと意識が切り替わっていく。

入り口で靴を脱ぎ、畳の上に足を下ろしたとき、指先から伝わってきたのは、い草の乾いた、けれどどこか懐かしい弾力だった。私たちはまだ、お互いの心地よい距離を探っている最中だったのかもしれない。「静かだね」と誰が口にしたのか、その言葉さえも、この空間に溶けて消えてしまいそうだった。会話の合間に生まれる小さな空白を、どちらが埋めるべきか迷いながら、私は心の中で自問する。この沈黙は、気まずさなのだろうか、それとも信頼の始まりなのだろうか。

それはまるで、真っ白な和紙に落とした一滴のインクが、ゆっくりと繊維に沿って広がっていく光景に似ていた。最初ははっきりとした輪郭を持っていた個々の色が、時間をかけてじわりと滲み出し、境界線が曖昧になっていく。クイーンルームの柔らかな琥珀色の照明の下で、あなたはベッドに深く沈み込み、私はその隣で、畳の縁をぼんやりと指でなぞっていた。何かを話さなければならないという義務感はなくて、ただ、同じ空間に同じ温度の空気が流れている。その事実だけで、十分だという気がした。私たちの不揃いなリズムが、この静かな部屋の中で、少しずつ同期し始めている。

午後11時、13階の湯気に溶け出す、不器用な体温

エレベーターで13階へ上がると、そこには別府の夜景を一望できる天然温泉が待っていた。湯船に体を沈めた瞬間、肺の奥まで温かい湿り気が満ちていく。お湯の温度が絶妙で、一日中強張っていた肩の力が、熱いお湯に溶け出した砂糖のように、ゆっくりと、跡形もなく消えていった。耳に届くのは、かすかな水音と、遠くで聞こえる誰かの静かな吐息だけ。

立ち込める白い湯気で視界が霞み、隣にいるあなたの顔がぼんやりとしか見えない。けれど、時折聞こえる静かな呼吸の音や、水面を揺らすかすかな波紋で、あなたがそこにいることがはっきりとわかる。言葉を使わなくても、体温を通じて相手の存在を感じられる時間は、贅沢というよりも、ある種の救いのように感じられた。液体の広がりが紙の隅々まで行き渡るように、私たちの間にあった微かな緊張感も、この温かいお湯に溶け出して消えていったのだろうか。

お風呂上がり、浴衣に着替えて部屋に戻る途中で、あなたが帯をうまく結べずに格闘していた。「あ、ちょっと待って、手伝うよ」と私が声をかけると、あなたは照れたように、けれど嬉しそうに肩をすくめた。不器用そうに布を回しているその姿を見て、ふふっと小さく笑ってしまう。そんな何気ない、取るに足らない瞬間こそが、旅の記憶に一番深く刻まれる。

部屋に戻り、結露した冷たいグラスで喉を潤しながら、窓の外に広がる夜の別府を眺めた。遠くに見える街の灯りが、滲んだ絵画のように柔らかく揺れている。「Dormy Inn Beppu」の心地よい静寂の中で、私たちはまだお互いのすべてを知っているわけではないし、これからも分からないことばかりだろう。けれど、この肌に触れる温度感だけは、ずっと持っていたいと思った。

枕元のランプを消したとき、暗闇の中で重なった手のひらが、とても温かかった。