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湯気に消えそうだった、肩のあたり

湯気に消えそうだった、肩のあたり

「ここ、本当に私たちだけでいいの?」

「……たぶん、そうだと思う。離れだから」

隣で君が、少しだけ不安そうに、でも好奇心を隠せない声で囁いた。由布院 梅園 GARDEN RESORTの重い引き戸を静かに開けた瞬間、外の喧騒がふっと遮断され、代わりに丁寧に手入れされた畳の乾いた香りと、かすかなお香の匂いが鼻をくすぐる。私たちはどちらからともなく、足音を忍ばせて離れ客室の奥へと進んだ。誰にも邪魔されないという贅沢が、心地よくもあり、同時に少しだけ怖かった。まだお互いの心地よい距離を測りながら、ゆっくりと歩み寄っている最中だったから。冷たい外気から解放され、部屋の柔らかな照明に包まれたとき、私たちの間の緊張がわずかに緩んだ。

境界線の上に置いてきた、名前のない感情

裸足で踏みしめた縁側の、ひんやりとした木の感触。そこは部屋の中でも外でもない、曖昧な境界線だ。五月の由布院は新緑が目に刺さるほど鮮やかで、湿った風に乗って藤の花の甘い香りが、どこか懐かしい記憶を呼び覚ますように漂ってくる。その縁に腰を下ろして、私たちはしばらく何も話さなかった。ただ、庭園に広がる深い緑が、ゆっくりと呼吸しているような静寂に身を任せていた。遠くで鳥の声が響き、それがかえってこの場所の静けさを際立たせている。

ふと気づくと、君が浴衣の帯と格闘していた。結び方が分からず、もごもごとした声を出しながら布をあちこちへ引っ張る不器用な指先。その姿に、ふふっと笑いが漏れた。かっこいいところを見せたいはずなのに、帯に負けている君がたまらなく愛おしく感じられた。予定にない小さな綻びこそが、旅の本当の輪郭になり、二人の距離を縮めてくれる。

露天風呂付和洋室のプライベートな空間で、お湯が満たされていく低い音が、部屋の空気をゆっくりと書き換えていく。お湯に浸かると、肌にまとわりつく柔らかな温度が、強張っていた肩の力をほどいてくれた。目の前には由布岳の稜線がぼんやりと浮かび、空の青さが深い紺色に溶けていく。お湯の中で肩が触れるか触れないかの距離にいた。そのわずかな隙間に、言葉にする前の感情が溜まっている。解決しなくていい、ただそこに在ればいい。そんな感覚に、深い安らぎを覚えていた。

夕食に運ばれてきた、地元で採れた山菜のほろ苦い味。口の中に広がる大地の香りが、私たちが今、この地に立っていることを静かに教えてくれる。豪華な設備があることよりも、深夜三時にふと目が覚めたとき、隣で君が立てる静かな寝息。その音の密度が、どんな絶景よりも贅沢に感じられた。私たちは、互いのリズムを合わせるための長いチューニングの時間を過ごしていたのだ。この部屋という小さな宇宙の中で、私たちはようやく、本当の意味で隣に座ることができた。

指先に残った、お湯のぬくもりだけを信じていた。

  • 朝の光が柔らかい時間帯に、金鱗湖までゆっくりと散歩して、水面の揺らぎを眺めてみて。
  • 庭園の緑が一番深い場所を見つけて、あえて何も話さずに、ただ風の音を聴いてみて。