濡れたビーチサンダルが、板張りの廊下でペタペタと不規則なリズムを刻んでいる。次男が「雨の粒がダンスしてる!」と歓声を上げて駆け抜けるたび、湿った杉の香りがふわりと舞い上がった。六月の由布院 梅園 GARDEN RESORT / Yufuin Baien Garden Resortは、空の色が淡い灰色に溶け込み、世界がしっとりと濡れている。庭の石垣の隙間を、深い緑の苔がゆっくりと、けれど確実に埋めていく様子を眺めていた。私たち家族もまた、この静謐な景色の一部に、静かに溶け込もうとしているのかもしれない。
湯船に肩まで浸かると、指先の強張りがゆっくりとほどけていく。肌に吸い付くような滑らかな質感の湯は、心地よい温度で身体を包み込んだ。隣では長男が「ここは僕だけの王国だ」と、貸切露天風呂で大真面目に宣言している。私はただ目を閉じ、頬を撫でるひんやりとした外気と、芯まで温める熱い湯の境界線に意識を集中させていた。心に溜まっていた澱のような重みが、お湯に溶け出し、排水口へと静かに流れていく感覚があった。
離れ客室の屋根を叩く雨音が、一定のテンポで降り注いでいる。それは音楽というよりは、心地よい環境音に近い。子供たちが畳の上で、誰が一番遠くまで転がれるかという、どうでもいい競争を始めている。賑やかな笑い声が雨のカーテンに遮られ、外の世界から完全に切り離されているという、奇妙で贅沢な安心感に包まれた。静寂とは音が無いことではなく、自分たちが心地よいと感じる音だけに囲まれている状態のことなのだろう。
朝食に運ばれてきた地元の野菜の、凝縮された甘みが、まだ眠っている舌にゆっくりと染み渡る。炊きたての御飯から立ち上る真っ白な湯気が、窓の外に漂う霧と溶け合っていた。次男が「このお野菜、お庭の苔と同じ色だね」と、不思議そうにプレートを覗き込んでいる。ふいに、完璧な旅を計画しようとしていた自分が、少しだけ滑稽に思えた。予定通りにいかないこと、子供が食べこぼすこと、雨で歩けなかったこと。そういう不完全な隙間にこそ、本当の思い出が入り込む居場所がある。
庭園に咲く紫陽花が、雨を含んで重たそうに頭を垂れている。青から紫へ、そして淡いピンクへと移り変わる色彩のグラデーションは、まるで誰かが丁寧に絵の具を混ぜ合わせた水彩画のようだった。薄暗い夕暮れ時、庭の隅で小さな光が不意に点滅した。ホタルだ。子供たちが息を呑んで、小さな光の軌跡を追いかける。捕まえようとして空を切る次男の短い腕が、たまらなく愛おしくて、私はただその光景を心に刻んでいた。
指先に触れる浴衣の綿の感触が、少しだけざらついていて心地いい。子供たちが庭で拾ってきた、雨に洗われて白くなった小さな石が、机の上に整然と並べられている。彼らにとっては、この世で一番の宝物なのだろう。石の表面の冷たさと、部屋の中の柔らかな温もり。その鮮やかな対比が、「今、ここにいる」という実感を強くさせてくれた。緑の絨毯のような地面を歩いた記憶が、足の裏にまだかすかに残っている。
夜、家族全員で畳の上に寝転がった。天井を見上げながら、誰からともなく、今日あった出来事を話し始める。次男が温泉に石鹸を入れて「泡の海」を作ろうとして、私に全力で止められた話。長男が傘を持って歩くことに異常なこだわりを見せた話。笑い声が重なり合い、やがて心地よい寝息に変わっていく。人生で一番大切なのは、こういう名もなき静かな時間なのかもしれない。私たちはただ、そこに在ることを許されていた。
雨上がりの庭に、濡れた土の濃い匂いが漂っていた。
- 子供と一緒に、雨の日の庭園で「一番綺麗な色の紫陽花」を探す散歩がおすすめです。
- 離れ客室の畳の上で、あえて何もしない時間を家族で共有してみてください。