10月の彰化は、空気がとても正直だ。気温は25度。肌を撫でる風はかすかに冷たく、まるで薄い絹のシーツを滑らせているような心地よさがある。駅から彰化桜山飯店まで歩くわずか4分の道のり。その短い距離で、街の匂いがゆっくりと移ろうのがわかった。古い路地が抱く湿った土の香りと、どこかの家から漂う夕食の匂い。私たちはわざと遠回りをして、迷路のように入り組んだ小西巷を歩いた。誰が言い出したのかはもう覚えていない。けれど、気づけばコンビニの袋をいくつも下げ、期待に胸を膨らませてホテルのエレベーターに乗り込んでいた。足裏に伝わるわずかな振動と、廊下に漂う古い木の香りが、私たちの高揚感を静かに煽る。2階でふと目にした日治時代の檜製デスクの重厚な色合いに、誰かが「ここ、タイムスリップしたみたい」と呟いたけれど、私たちはそれを適当に流して、自分たちの部屋へと急いだ。空腹は、時にどんな緻密な計画よりも強力な推進力になるから。
咀嚼の合間にこぼれ落ちた、とりとめない言葉たち
「ねえ、誰がナプキン忘れたの? 嘘でしょ、この量を買ってきてナプキンがないなんて、正気?」
トリプルルームに入った瞬間、誰かが叫んだ。独立したスプリングマットレスが、私たちの体重を受けて心地よく沈み込む。私たちはベッドの上に、コンビニで買い込んだお菓子と、街の名物である肉圓をぶちまけた。甘い醤油ベースのタレが、プラスチックの容器の中でゆっくりと揺れている。湯気と共に立ち上がる、もちもちとした生地と濃いタレの香りが部屋いっぱいに広がった。
「いいじゃん、ホテルのタオル使えば。っていうか、それよりこの肉圓のタレ、めちゃくちゃ甘くない? 好きかも」
「タオルをナプキン代わりにするなよ。誇張しすぎだって。あ、見て、廊下に変なカウンターがあるよ。何これ、誰が使ってたの?」
ふと、廊下に面した「女中カウンター」という遺構に誰かが気づいた。かつてここで、誰かがお茶やタバコを運んでいたのだろう。今の私たちにとって、それはただの「不思議な空間」でしかないけれど、その静かな佇まいが、部屋の中の騒がしさをより際立たせていた。私たちは肉圓を頬張りながら、誰が一番この旅で役に立っていないかという、極めて生産性のない議論を始めた。私が肉圓を一口で食べようとして、タレを白いTシャツにポタポタと落としたとき、部屋の中に3秒間の静寂が訪れた。そして、誰からともなく爆笑が始まった。笑いすぎてお腹が痛くなり、ベッドの上で転げ回る。そんな、どうでもいい瞬間。でも、そういう時間が一番、この旅を「私たちのもの」にしてくれる気がする。信じられないかもしれないけれど、完璧なスケジュールよりも、こういう小さな失敗の方がずっと記憶に深く刻まれるものだ。私たちは、お互いの至らなさを笑い合いながら、夜が深まっていくのをただ受け入れていた。
胃袋が満たされた後に訪れる、心地よい余白
食後の静寂は、古いベルベットのように重くて柔らかい。プラスチックの容器は片付けられ、部屋にはかすかに甘いタレの香りと、10月の夜風が窓の隙間から入り込んでいた。私たちは、もう言葉を交わす必要さえ感じなかった。ただ、それぞれが別のベッドに身を沈め、天井の模様をぼんやりと眺めている。彰化桜山飯店が持っている、時間の積み重ねのような静けさが、私たちの間にある空白を自然に埋めてくれた。3階の廊下に佇むあのカウンターのように、ここにあるすべてが、誰かの記憶の断片なのだろう。私たちはその断片の一部になったような気がした。孤独は、消し去るべきものではなく、ももと持っている器官のようなものだ。でも、同じ空間で同じ静寂を共有しているとき、その孤独は心地よい重みに変わる。明日になれば、また誰かが忘れ物をし、誰かが道を間違え、私たちは互いに呆れ合うだろう。でも、今はただ、冷たいタイルの温度と、隣で聞こえる友人の規則正しい寝息があれば十分だった。答えのない会話の後に訪れるこの静寂こそが、旅における一番の贅沢なのかもしれない。
半分空いたペットボトルの水が、サイドテーブルの上で小さく光っていた。
- アジャン肉圓:甘いタレともちもちの食感が、深夜の部屋にぴったり。
- 不二坊の蛋黄酥:翌朝、少し冷めた状態で食べるのが正解かもしれない。