12月の松山の空気は、肺の奥まで突き刺さるように冷たく、どこか潮の香りが混じっていた。道後温泉駅からホテルまでのわずかな距離を、「誰が一番先に看板を見つけるか」という、どうでもいい賭けに興じる。結局、全員が同じ方向を向いて歩いていたし、看板はあまりに巨大で、見逃す方が難しい。そんなくだらない時間こそが、この旅の最高の調味料だった。
ロビーで出されたみかんジュースの、目に飛び込んでくるような濃いオレンジ色。グラスの縁に結露が白く滲み、指先に冷たいしずくがゆっくりと伝い落ちる。一口含めば、鮮烈な甘さと酸っぱさが同時に押し寄せ、冬に眠っていた五感が無理やり叩き起こされる。味覚に直接触れられた瞬間、自分が本当にこの地に降り立ったのだと、ようやく実感が湧いた。
「金の讃岐うどんショー」を観終えた後の、あの異様な沈黙。あまりに豪華で、あまりに全力なパフォーマンスに、私たちはただ呆然と顔を見合わせて、「今の、一体どういうことだった?」と小さく呟き合った。誰が一番困惑していたかを競うなら、間違いなく私の圧勝だろう。けれど、そんな意味の分からない時間こそが、後で一番語り合いたくなる最高の肴になる。
カサリと乾いた音を立てて館内マップを広げたとき、それがホテルの図面ではなく、RPGの複雑なダンジョンマップに見えた。迷路のような廊下を、わざと遠回りして歩く。右に曲がったはずなのに、なぜかまた同じ自動販売機の前に戻ってきたときの、絶望感に近い可笑しみ。目的地に辿り着くことよりも、迷うプロセスそのものに価値があるのだと、私たちは密かに合意していた。
貸切露天風呂で、お湯から立ち上る真っ白な湯気が視界を遮る。外気は凍えるほどに冷たいが、肩まで深く浸かると、体の芯からじわじわと熱が溶け出していく。夜空を見上げれば、針で突いたような星が点々と散らばっていた。普段なら「綺麗だね」と口にする場面だが、私たちはただ静かに、お互いの呼吸の音だけを聴いていた。言葉を介さないことで、共有できる温度がある。
三の館の和室に足を踏み入れた瞬間、い草の青い香りがふわりと鼻をくすぐった。裸足で踏みしめる畳の、少しだけざらついた心地よい質感。布団を敷き詰めた後の狭い空間に、大人が数人ひしめき合い、誰の足が誰に当たっているのかも分からないまま、とりとめもない話を夜通し続けた。物理的な距離が縮まると、心のガードも自然と低くなる。
クリスマスイルミネーションの光が、濡れたアスファルトに反射して、街全体がぼやけた水彩画のように揺れていた。道後プリンスホテルの温かな灯りに戻る途中で、誰かがふと「来年もここに来たいね」と漏らした。普段なら照れて否定するところを、その時は不思議と、そのままにしておきたい気がした。光の粒が、記憶の隙間を丁寧に埋めていく感覚。
大晦日の夜、カウントダウンを待つ静寂。賑やかなはずのリゾートホテルが、一瞬だけ深い呼吸をしたように静まり返る。私たちは、何が正解で何が間違いだったかなんてどうでもいい、ただ今ここに一緒にいられたことが、何よりの幸運だったのだとぼんやり考えた。空白の時間があるからこそ、そこにかけがえのない思い出を書き込める。
ぬくぬくとした布団の中で、誰かの穏やかな寝息だけが響いていた。
- 館内湯めぐりは、あえて時間を決めずに、直感に従って回るのが正解。
- 12月の道後は底冷えするから、お気に入りの厚手靴下を忘れずに。