← 回到 博多祇園大和ROYNET飯店

靴下に残った、冬の終わりの匂い

靴下に残った、冬の終わりの匂い

足元でカサリと乾いた音がした。見ると、下の子が落とした小さな飴の包み紙が、ベージュのカーペットの上で宝石のように光っている。旅の始まりはいつも、こういう小さな脱線から始まる。上の子はすでにベッドの端まで全力で走り、マットレスの心地よい弾力に身を任せて跳ねていた。足の指がふかふかの繊維に深く沈み込む感覚。子供たちの予測不能な動きは、静まり返った部屋に飛び散る鮮やかな水飛沫のようで、その不規則なリズムが、洗練された空間に人間らしい体温と賑やかさを混ぜ込んでいく。


浴室のタイルは、裸足で踏むとひんやりと心地よく、そこから溢れ出したお湯は驚くほど柔らかく肌を包み込んだ。肩まで深く浸かると、外の冷たい冬気に強張っていた筋肉が、ゆっくりと、甘く解けていく。ダイワロイネットホテル博多祇園の心地よい静寂に身を委ね、ベッドに体を沈めた瞬間、自分が大きな水溜まりの一部になったような錯覚に陥る。深く、静かに、意識が底の方へ沈んでいく感覚。誰にも邪魔されない数分間。ただ、肌に触れるリネンのさらりとした清潔な質感だけが、今の自分を現実につなぎ止めていた。
空気清浄機が、低い唸りを上げて室内の空気を丁寧に浄化している。その一定のホワイトノイズは、外の都会的な喧騒を遮断する透明な膜のように機能していた。ふと耳を澄ませると、隣の部屋からかすかに漏れ聞こえる笑い声や、廊下を歩く誰かの控えめな足音。それらが重なり合って、都市の呼吸のような心地よいリズムを作る。スーツケースのジッパーを閉める時の、あの鋭く心地よい金属音。それが合図となって、私たちは日常の役割を脱ぎ捨て、再び「旅人」という自由な時間へと戻っていく。
口の中に残っているのは、舞鶴公園で買った梅の飴の、少し酸っぱい後味。二月の福岡の空気は、しっとりと湿り気を帯びていて、どこか懐かしい土と潮の匂いがした。夜、近くの店で堪能したもつ鍋の、濃厚で熱い出汁の余韻がまだ胃のあたりに温かく残っている。子供たちが「おいしい!」と口の周りを汚しながら笑っていた、あの混沌とした食卓の風景。整然としたホテルのデスクに、わざわざ持ち込んだ地元のコンビニスイーツを並べる。その不釣り合いな光景が、旅の特権のように思えて愛おしく感じられた。
午前七時。厚手のカーテンの隙間から、鋭い光の線が一本、部屋に差し込んでいた。部屋の隅々には、まだ深い青色の影が静かに溜まっている。その光と影の境界線が、ゆっくりと、水面に広がる波紋のように床を移動していく。上の子が、まだ眠そうに目をこすりながら、その光の線を小さな手で追いかけていた。何も考えず、ただ光の移ろいを眺める時間。そんな贅沢な空白が、この街の朝には自然に溶け込んでいた気がする。
洗面台に置かれたリファのローラー。冷たい金属の感触が頬に触れた瞬間、意識がシャキッと覚醒する。リラックスルームのゆとりある空間で、下の子がそれを不思議そうに眺め、「大人のおもちゃ?」と無邪気に聞いてきた。一緒に頬に転がしてみると、冷たさに驚いて小さな悲鳴が上がる。そんな些細なやり取りが、旅の記憶に深く刻まれる。隅っこに置かれた英国製ズボンプレッサーを、子供たちが秘密基地の柱に見立てて遊んでいた。機能的な設備が、子供の想像力によって別の物語に書き換えられていく過程は、いつも心を温めてくれる。
最後は、みんなで一つの大きなベッドに集まった。誰がどこにいるのか分からないほどに、温かな体が重なり合う。それはまるで、バラバラに流れていた水流が、ひとつの深い池に集まったときのような絶対的な安心感だった。外では冬の鋭い風が吹いているけれど、この部屋の中だけは、春を待つぬくもりに満ちている。明日になればまた、賑やかな日常の喧騒の中へ戻っていくけれど、今はただ、この静かに凝縮された家族の時間を共有していたいと思った。

脱ぎ捨てられた靴下が転がる床の端で、家族の呼吸だけが静かに重なっている。

  • 祇園駅から徒歩1分という好立地を活かし、お子さんと一緒に近くの櫛田神社まで、街の音を拾いながらゆっくり散歩するのがおすすめです。
  • リラックスルームの美容アイテムを使い、お母さんとお子さんで「エステごっこ」をすれば、旅の夜がさらに特別な思い出になります。