地下鉄祇園駅の改札を出た瞬間、潮気を含んだ五月の風が、湿り気を帯びて頬をなでた。私たちは「誰が一番にホテルに着くか」なんてくだらない賭けをしていたけれど、結局は重いスーツケースがアスファルトに立てるガタガタという騒々しい音に急かされ、もたもたしながら歩いた。ダイワロイネットホテル博多祇園までの距離は、わずか歩いて一分。あまりに短すぎて、旅が始まったという実感が、心地よい時間差を伴って後からやってくる。信号の切り替わりを待つわずかな静止さえ、贅沢な余白のように感じられた。
もつ鍋から立ち上る真っ白な湯気が、眼鏡を瞬時に曇らせた。目の前でぐつぐつと激しく音を立てるスープの熱気が、冷えた指先にまで伝わってくる。隣で友人が「あんた、絶対にお箸の使い方が下手くそだよね」と意地悪く笑いながら、私の皿に山盛りのキャベツを放り込んできた。濃厚な味噌とニンニクの香りが、賑やかな博多の夜に溶け込んでいく。味覚というものは、誰と一緒に食べるかでその輪郭が変わるのだと、胃袋から深く納得した。
「ねえ、地図、逆じゃない?」という一言から、十五分間の不毛な言い争いが始まった。私たちは新緑が眩しい並木道を、自信満々に間違った方向へ突き進んでいた。けれど、そんなもどかしい時間こそが、後で思い出したときに一番笑える記憶になる。結局、どちらが正しかったかなんてどうでもよくなって、道端にひっそりと咲く名もなき小さな花に心を奪われた。正解に辿り着くことより、迷い込むことの方がずっと贅沢な気がした。
スタンダードダブルルームのドアを開けると、そこには不自然なほど広々としたワイドデスクが鎮座していた。ビジネスホテルという機能的な空間に、この余裕のある広さはなんだろう。私たちはそこに、コンビニで買い込んだ色とりどりの菓子と飲み物を、まるで戦利品のようにずらりと並べた。PCを広げるための聖域が、いつの間にか深夜の宴会テーブルに変わっていた。本来の用途を無視して使う快感。そういう小さな反抗が、旅を自由にしてくれる。
午前七時の淡い光が、カーテンの隙間から鋭い線となって差し込んでいた。まだ半分夢の中にいる状態で、ベッドから洗面所まで何歩あるかをゆっくりと数えてみた。裸足で踏んだタイルのひんやりとした温度が、眠っていた脳のスイッチを静かに押し上げる。急がなくていいという感覚は、身体の重心を心地よく下げる。鏡に映った、ひどい寝癖だらけの自分たちを見て、同時に吹き出した。
フランスベッドの高密度スプリングが、身体を優しく、けれどしっかりと押し返してくる。沈み込むのではなく、適切に支えられる感覚は、心地よい緊張感に似ている。デュベスタイルのふんわりとした掛け布団に深く潜り込むと、外の喧騒が遠い世界の出来事のように消えていった。静寂には、絹のような質感がある。ここでは、ただ深く呼吸をしているだけで、十分な活動になっているような気がした。
ふらっと出かけた先で、博多どんたくのパレードに巻き込まれた。色鮮やかな衣装の波と、胸の奥まで響く太鼓の重低音。私たちは最高の写真を撮ろうと、満開のバラの茂みの前で完璧なポーズを決めたけれど、シャッターを切った瞬間に誰かが盛大にクシャミをした。結果、写真はすべて激しくブレブレ。でも、そのぐちゃぐちゃな画像を見たとき、私たちは腹を抱えて笑った。完璧な記録より、不完全な記憶の方がずっと鮮やかだ。
チェックアウトのとき、ロビーの自動ドアが開くたびに、外のむっとした熱気が流れ込んできた。ダイワロイネットホテル博多祇園で過ごした時間は、日常と非日常のちょうど中間にあったのかもしれない。何かを成し遂げたわけではないけれど、ただそこに身を置いたことで、心の隙間がちょうどいい温度で満たされた。旅の終わりはいつも寂しいけれど、それは次への余白があるということだ。
スーツケースの車輪が、アスファルトの上で小さく鳴った。
- 祇園駅からホテルまで、あえてゆっくり歩いて街の匂いを嗅いでみて
- お部屋のワイドデスクに、旅の思い出の品を全部並べて眺めるのがおすすめ