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濡れた靴底と、誰の物かわからない傘

降りしきる雨と、正体不明の荷物の行方

アスファルトが濡れた独特の匂いと、絶え間なく降り続く6月の雨。下呂駅に降り立った瞬間、私たちは全員して「あ、これ詰んだな」という顔をしていた。誰が傘を何本持ってきたのか、誰がどこのルートを予約したのか。もはや重要じゃない。湿ったデニムが足に張り付く不快感と、それを笑い飛ばす誰かの高い声だけが、冷たい空気の中に響いていた。TAOYA下呂のロビーに足を踏み入れたとき、靴底から滴る水が高級感のある床に小さな水たまりを作っていた。チェックインを待つ間、私たちは互いの濡れた肩を見て、誰が一番ひどい状態かを競い合っていた。贅沢な旅なんて意識は微塵もなく、ただ早く乾いたタオルに包まれたいという本能だけが突き動かされていた。

TAOYA下呂で私たちが学んだ、4つの不器用な真実

「贅沢」のハードルを地面まで下げること
オールインクルーシブのラウンジに足を踏み入れたとき、私たちは最初、どう振る舞えばいいのか分からず、妙に背筋を伸ばしていた。けれど1時間後には、誰が一番効率的にスナックを皿に盛れるかという、極めて低レベルな競争が始まっていた。洗練された空間に、洗練されていない私たちが混ざり合う。それは、濡れた画用紙にインクを落としたときのように、境界線がじわじわと曖昧になっていく感覚だった。結局、一番心地いいのは、格好をつけるのをやめて、ふかふかのソファに深く沈み込んだときだった。

地酒の量と、会話の質の反比例
ラウンジのバーで地酒を飲み始めたとき、私たちは「大人の旅」を演出したかった。けれど、冷えたグラスを傾け、杯を重ねるごとに会話の内容はどんどん脱線し、最終的には小学生のような言い合いに発展していた。いい酒を飲んでいるはずなのに、出た言葉が「っていうか、さっきの言い方ムカついた」なんてレベル。でも、そんなくだらないやり取りこそが、実は一番贅沢な時間だったのかもしれない。酔いが回るにつれて、心の中にあった見えない壁が溶けて、ただの「心地よい混沌」に変わっていくのが分かった。

温泉での「静寂」という名の緊張感
温泉に浸かったとき、私たちはあえて沈黙を守ろうとした。大人の余裕を見せたかったからだ。けれど実際は、お湯の温度にびっくりして「あちっ!」と声を上げたり、誰かが誤って水しぶきを飛ばしたりして、静寂なんて1分も持たなかった。それでも、肌にまとわりつくお湯の重みと、外の冷たい空気のコントラストが、不思議と心地よかった。白い湯気のヴェールに包まれ、完璧に振る舞おうとするよりも、不器用なままでいるほうが、ずっと自分たちらしい気がした。

「計画の崩壊」こそが最高のプランであること
紫陽花を見に行こうとか、ホタルを探そうとか、期待に満ちたプランは雨によってすべて消し飛ばされた。でも、結果的にそれが正解だった。外に出るのを諦めて、ホテルの中でダラダラと過ごし、ライブキッチンの料理を誰が一番多く食べるか賭けをする。予定していた「観光」はできなかったけれど、代わりに「何もしないこと」を全力で楽しむという、贅沢な時間の使い方を学んだ。予定通りにいかないもどかしさが、いつの間にか心地よい解放感に変わっていた。

リストの外側にある、青い静寂

一番記憶に残っているのは、誰が言い出したわけでもなく、早朝6時にラウンジへ向かったときのことだ。まだ多くのゲストが眠っている時間。窓の外は、雨上がりの深い青色に染まっていて、空気はひんやりと澄んでいた。私たちは何も話さず、ただ淹れたてのコーヒーから立ち上る白い湯気を眺めていた。陶器のカップから伝わる熱が、冷えた指先にじわりと染み渡る。昨夜の騒がしさが嘘のように、そこには完璧な静寂があった。でも、それは孤独な静寂ではなく、隣に誰かがいることが分かっているからこそ成立する、安心感のある空白だった。豪華な設備やサービスもいいけれど、ふとした瞬間に訪れるこういう「隙間」の時間こそが、旅の本当の価値な気がする。濡れた靴の不快感も、計画の失敗も、すべてはこの青い静寂に辿り着くための伏線だったのかもしれない。ふと隣を見たとき、友人が心地よさそうに目を閉じていた。その光景に、なんだか救われたような気持ちになった。

雨上がりの風が、ほんの少しだけ甘い匂いがした。

  • 濡れた服の不快感を消し去るため、まずは迷わず温泉へ直行して心身を解きほぐして。
  • ラウンジの地酒は心地よいので、翌朝の記憶を失わないよう計画的に楽しんで。