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指先に残った、ぬるいお湯の温度

同じ景色、違う輪郭

縁側に座って、5月の風を待っていた。視界に入るのは、暴力的なまでに鮮やかな新緑。光が葉っぱを透過して、網膜に焼き付くような淡い緑色の残像が、まぶたを閉じてもしばらく消えなかった。つるつるの湯 下呂温泉 みのり荘の空気は、少しだけ湿っていて、ひのきの香りが鼻腔の奥に静かに溜まっていく感覚がある。遠くで誰かが笑う声や、風に揺れる藤の花が擦れる音が聞こえたけれど、それがどこから来たのかは重要じゃなかった。ただ、指先が触れている木の床の、少しざらついた温度と、肌を撫でる風の冷たさだけが、今の私にとっての唯一の現実だった。もしかすると、私たちはこうして一緒にいても、見ている世界は全く違うのかもしれない。けれど、その不一致こそが心地よく、誰にも邪魔されない個室にいるような、静かな安心感に包まれていた気がする。


隣に座る君の横顔を見ていた。君は遠くの山を見ていたけれど、私は君の呼吸の速さを数えていた。浴衣の襟元からわずかに見える鎖骨のラインや、時折、指先がもぞもぞと動く様子。私たちは一緒にいるけれど、それぞれが違うリズムで呼吸をしている。そんな不安が、心地よい緊張感になって、胸のあたりに小さな石のように居座っていた。君がふと、私の肩に頭を寄せたとき、その重みが、何よりも確かな答えのように感じられた。ふむ、きっと君も同じように、この静寂に戸惑いながら、同時にそれを愛おしいと思っているのだろう。言葉にしてしまえば消えてしまいそうな、危うい均衡。でも、その不確かさが、今の私たちにはちょうどいい温度だったのかもしれない。君の髪から漂う、かすかな石鹸の香りが、5月の午後の光に溶けていくのをじっと眺めていた。

二人が触れた、たった一つの熱

それでも、二人で同じ方向を向いた瞬間があった。それは、夕食に運ばれてきた飛騨牛の味噌すき焼きを囲んだときだ。鍋から立ち上がる、甘辛い香りと濃厚な白い湯気。それが視界を遮り、世界に私たち二人だけが取り残されたような錯覚に陥った。口に入れた瞬間、肉の脂が体温でゆっくりと溶け出し、舌の上に薄い膜を作る。その濃厚なコクと、味噌の深い塩味が混ざり合う感覚だけは、二人で同時に共有していた。言葉を交わさなくても、お互いの目が「美味しいね」と同意し合っていた。そのときだけは、視線の不一致も、心の距離も、すべてがその熱の中に溶け込んで消えていった気がする。もしかすると、旅というものは、こうした断片的な「共有」を積み重ねて、ゆっくりと相手の輪郭を書き換えていく作業なのかもしれない。お互いの正解を探すのではなく、ただ、目の前の熱い料理に満足するという、単純で贅沢な一致。それだけで十分だった。


湯上がりの廊下に残った、二つの濡れた足跡。
  • 下呂駅から宿まで、あえて送迎を使わず15分ほど歩いてみる。5月のバラや藤の花が、街の隙間にひっそりと咲いていることに気づくはず。
  • つるつるの湯の下呂温泉の質感を、まずは指先だけで確かめてほしい。肌にまとわりつくような、なめらかなお湯の感触が、思考を止めてくれる。