← 回到 下呂溫泉 小川屋

吐いた息が白く溶けて、隣の笑い声に混ざった

「誰が一番先に忘れ物をするか」という、くだらない賭けをした。結果は惨敗。全員が揃って充電器を忘れたのだ。駅に降り立った瞬間、肺の奥まで凍りつくような鋭い冷気が入り込み、みんなで同時に小さく咳き込んだ。一月の下呂は、空気が研ぎ澄まされた刃物のように肌を撫でていく。けれど、その刺すような冷たさが、旅の始まりを告げる心地よい合図に感じられた。



鉄板の上で飛騨牛がパチパチと弾ける、快活な音。白い煙と共に、濃厚で甘い脂の香りが鼻腔をくすぐる。口に運んだ瞬間、温度さえも消えてしまうかのように、さらりと舌の上で溶けていった。「これ、肉っていうか、ただの温かい脂じゃない?」誰かが呟いた言葉に、私たちは声を上げて笑った。贅沢という言葉では足りない、ただただ胃袋が満たされていく純粋な快感だけがあった。


「温泉の正しい入り方」について、正解のない不毛な議論が始まった。誰かがネットで得た知識を自信満々に披露し、別の誰かがそれを鼻で笑う。結局、誰の言うことを信じればいいのか分からなくなったけれど、湯船に身を沈めた瞬間にすべてはどうでもよくなった。熱い。あまりに熱すぎる。けれど、指先まで血が巡る感覚が、心地よい重みとなって、凝り固まった体にゆっくりと馴染んでいった。


浴衣を纏って廊下を歩く自分たちが、どう見ても「慣れない格好をした迷子」にしか見えない。帯の結び目はゆるゆるで、歩くたびに裾が乱れ、足元がおぼつかない。誰かが「今の私たち、完全にパジャマパーティーの失敗作だね」と揶揄し、その声が静かな廊下に心地よく反響した。格好悪さを共有しているという、奇妙で心地よい連帯感がそこにはあった。


午前六時の下呂温泉 小川屋。ロビーに漂う静寂は、厚いカシミアの毛布のように優しく体を包み込む。窓の外では、濃い湯気が視界を半分ほど遮り、世界が淡い白に溶け出した曖昧な境界線のようだった。挽きたてのコーヒーの苦い香りと、かすかに混じる硫黄の匂い。何も話さなくても、隣に誰かがいるという体温だけが、十分な安心感を与えてくれた。


裸足で踏みしめた廊下のタイルの冷たさが、足裏から脳まで突き抜ける。一方で、部屋の畳はしっとりと柔らかく、歩くたびに微かに青い草の香りが立ち上がった。襖を閉める時の「スッ」という乾いた、けれど密やかな音。その小さな音が、外の喧騒から私たちを切り離し、温かな繭の中に閉じ込めてくれたような錯覚に陥った。


噴泉池の足湯に足を浸したとき、指先が冷え切っていて、最初は針で刺されたように少し痛かった。でも、じわりと熱が浸透してくると、強張っていた肩の力がふっと抜けていく。隣で誰かが「あー、生き返る」と、大げさにため息をついた。その単純で贅沢な快楽こそが、旅における唯一の正解なのだろうと、ふと思った。


チェックアウトして外に出たとき、肌に残っていた湯上がりの余熱が、冬の冷たい風にさらされてゆっくりと消えていった。けれど、心の中にはまだ、あの熱いお湯の温度が深く刻まれている。完璧な旅ではなかった。忘れ物をし、迷い、笑い転げたけれど、その不格好な時間こそが、何よりも確かな手触りを持って記憶に残り続けるはずだ。

濡れた石畳に、冬の淡い光が静かに反射していた。

  • 噴泉池の足湯で、あえて冷たい風に当たりながら温まる快感。これは絶対試してほしい。
  • 下呂温泉 小川屋の早朝の静寂。何も考えず、ただ湯気を眺める贅沢な時間を過ごしてみて。