自販機の低い唸り音が、氷点下の鋭い空気に溶けていた。ボタンを押すと、ガタンと鈍い音を立てて温かい缶コーヒーが落ちてくる。指先に伝わる熱が、麻痺しかけていた感覚をゆっくりと呼び戻していく。そんな、誰にも注目されない小さな振動から、私たちの旅は始まった。黒部市を包む一月の空気は、肌に触れると鋭い刃物のように冷たいけれど、どこか心地よい緊張感がある。私たちは互いに「誰が一番先に凍えるか」なんてくだらない賭けをしながら、しんしんと雪が降り積もった道を歩いた。道端に撒かれた凍結防止剤のざらついた感触が、靴底を通して伝わってくる。そんな不格好な歩調で辿り着いたのが、大江戸温泉物語Premium 下呂本館だった。重厚な扉を開けた瞬間、外の刺すような寒さが消え、温かな出迎えの香りに包まれた。
静寂の青と、喧騒の朱
(Aの記憶)
窓の外では、黒部川の流れが深い藍色に染まっていた。雪が降り始めると、世界から音が吸い込まれ、完全な静寂が訪れる。ただ、遠くで誰かが笑う声だけが、輪郭をぼかして届く。大江戸温泉物語Premium 下呂本館の部屋で、い草の香りが漂う畳に身を沈め、私はただ静かに外を眺めていた。冷たいガラスに指を触れると、外の静寂が指先から流れ込んでくる気がした。冬の夜というものは、本来こういうふうに、自分の中にある空白をそのままにしておいてくれる場所なのだろう。何も考えず、ただ雪が積もる速度を数えていた。
(Bの記憶)
もう、めちゃくちゃだった。浴衣の帯の結び方が分からなくて、三人で格闘していたら、誰かがバランスを崩して畳の上に派手に転がった。その情けない姿に、全員で腹を抱えて笑い転げた。廊下をわざと裾をひきずりながら歩くのが楽しくて、まるで時代劇の端役になった気分だった。誰かが「このまま脱走して雪の中に飛び込もう」なんて言い出して、結局は誰一人として勇気がなくて、ロビーのソファで言い合いを始めた。そんな、どうでもいい時間こそが、この旅のメインディッシュだったと思う。
舌を刺す黒と、皿に積もる笑い
(Aの記憶)
目の前に出された富山ブラックラーメンの、あの深い黒色。スープを一口啜ると、強烈な塩気が舌を突き刺し、同時に体中の細胞が強制的に目覚める感覚があった。立ち上る白い湯気が眼鏡を曇らせ、視界が真っ白なもやに包まれる。その中で、麺を啜る音だけが一定のリズムを刻んでいた。塩辛いけれど、それが冬の冷気に晒された体に、何よりも贅沢な刺激として響いた。味覚よりも先に、喉を通る熱さが「生きている」ことを教えてくれた気がする。ただそれだけのことが、とても贅沢に感じられた。
(Bの記憶)
バイキング会場のあの熱気、最高にカオスだった。誰が一番高く料理を積み上げられるか競い合って、結果的に皿の上に天ぷらの山ができていた。隣で誰かが「これ、全部食べきれるわけないだろ」と呆れていたけれど、結局みんなで分け合って完食した。黒いラーメンを啜りながら、「しょっぱすぎる!」と顔をしかめ合う瞬間が、なんだか可笑しくてたまらなかった。美味しいとかいう言葉よりも、「ヤバい」とか「ありえない」とかいう言葉が飛び交う食卓。そんな賑やかさが、心地よいBGMみたいに耳に残っている。
湯気に溶け合った唯一の真実
結局、私たちが口を揃えて「最高だ」と言ったのは、冷え切った体で温泉に飛び込んだ瞬間だった。肌を刺すような外気から、一気に熱い湯の中に沈み込む。その激しい温度差に、一瞬だけ呼吸を忘れ、肺の中まで温かさが浸透していく。露天風呂付き部屋の贅沢な空間で、友人たちのくだらない言い争いも、明日からの予定も、すべてが白い湯気に溶けて消えていく。ただ、お湯の温度がちょうどいいということだけを、私たちは静かに共有していた。言葉にする必要なんてない、ただの心地よさ。その瞬間だけは、誰一人として不満を漏らさなかった。
雪が積もった手すりの上に、小さな梅の蕾がひとつだけ、震えていた。
- 宇奈月温泉駅からホテルまで、あえてゆっくり歩いて冬の空気の密度を感じてほしい
- バイキングでは、あえて一番「正体不明」な地元の味に挑戦して、みんなで感想を言い合うのがおすすめ