← 回到 川上屋花水亭

靴の底についた砂と、言い訳の数

浴衣の帯に格闘する。パリッとした生地の感触と、もどかしい指先の動き。誰が一番早く挫折するかという馬鹿げた賭けを始めたけれど、結果はどうなったと思う?三人ともぐちゃぐちゃな結び目で妥協し、結局、勝者は不在。でも、その不格好な姿こそが、この旅の心地よいプロローグだったのかもしれない。



飛騨牛が焼ける、パチパチという軽快なリズム。脂が弾ける香ばしい匂いが、鼻腔を心地よく刺激する。炊きたてのお米は驚くほど甘く、ついついおかわりを重ねてしまった。隣で「ダイエットは明日から」と宣言し、頬をパンパンにして肉を頬張る友人の顔。あのお腹いっぱいになった飽和感こそが、至福の定義だった。


「ねえ、この角度なら大人っぽく見えるかな」と、自撮りに没頭していたあいつが、畳の縁に足を取られて派手に転がった瞬間。静まり返った純和風の部屋に、私たちの爆笑だけが波のように押し寄せた。あいつのタイミングは、ある意味で天才的だ。笑いすぎて、肺の中の空気が全部消えてしまった気がした。


貸切露天風呂の白い湯気が視界をぼかし、誰がどこにいるのかさえ曖昧になる。そんな乳白色の静寂の中で、新生活への漠然とした不安をぽつりぽつりと零し合った。答えなんて出ないけれど、お湯の温度がちょうどよかったから、それで十分だった。じんわりと皮膚に染み込む熱が、心の強張りをゆっくりと溶かしていく。


朝6時、耳に届くのは飛騨川のせせらぎだけ。冷たく澄んだ空気が肺の奥まで届き、思考が真っ白にリセットされる。普段は口喧嘩ばかりの私たちだけど、この瞬間だけは、言葉という不確かな道具を使わなくても通じ合える。沈黙が心地いい相手というのは、人生において最高の贅沢だ。


川上屋花水亭の廊下を歩くとき、足裏から伝わる木の温もりと、かすかに漂うお香の静謐な香り。坪庭を眺めていると、時計の針がゆっくりと、まるで呼吸するように動いている気がする。ここでは、急ぐ理由なんてどこにもない。ただ、流れる時間に身を任せていればよかった。


不意に窓を開けた瞬間、春のいたずらのような風と共に、桜の花びらが部屋に舞い込んできた。誰かが「うわ、すごい」と小さく呟く。計画通りにいかない旅の方が、結局は鮮やかな記憶として刻まれる。完璧じゃないからこそ、この不完全な時間が愛おしくてたまらない。


帰りの荷物が、行きよりもずっしりと重くなっていた。地元の味噌や、小さなお土産。物理的な重量だけではなく、ここで共有したくだらない時間や、ふとした瞬間の涙まで一緒に詰め込んだみたいで、なんだか心地いい重みだった。私たちはまた、適当な言い訳を言い合いながら、こうして集まるのだろう。

誰の靴が一番汚れているか、笑いながら確認した帰り道。

  • 飛騨牛の味噌焼きは、絶対にお腹を空かせてから挑んでほしい。
  • 朝の散歩で、苗代桜の淡い色を眺める時間は外せないよ。