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電車の汽笛と、脱ぎ捨てられた靴下の温度

凍てつく函館の街で、なぜこの場所を家族の拠点に選んだのか

指先がじりじりと冷たい。3月の函館駅前は、冬の終わりを告げる冷たい風が、皮膚の表面を薄く削り取っていくような感覚がある。駅を出てすぐのJRイン函館 / JR INN Hakodateに足を踏み入れた瞬間、その鋭い冷気がふわりと解け、陽だまりのような温かい空気の層に包み込まれた。ロビーには、旅人の期待が混じった賑やかな喧騒と、かすかに漂う清潔なリネンの香りが漂っている。

窓の外を眺めていると、銀色の列車が静かに、けれど確実に滑り出していく。トレインビューの客室から見るその光景は、まるで冷たい水底を泳ぐ大きな魚の群れを眺めているみたいだ。「あ!あっちに行った!」と窓に張り付いて声を上げる子供たちの横顔に、旅の興奮が滲んでいる。30平方メートルのラージツインという空間には、単なる数字以上の「余白」があった。子供たちがベッドの上で跳ねても、誰かの足にぶつかることなく、それぞれの居場所が確保されている。駅に隣接しているという事実は、単なる利便性を超え、親にとっての「精神的な安全装置」になる。何かあってもすぐに駅に戻れる、あるいは気ままに外へ出られる。その安心感が、旅の緊張で張り詰めていた肩の力をふっと抜いてくれた。家族という小さなチームで動くとき、一番必要なのは贅沢な設備よりも、こうした「余裕という名の緩衝材」なのかもしれない。

子供たちが一番心を奪われたのは、どんな瞬間だったか

チェックインしてしばらくすると、下の子がフロントで借りてきた塗り絵に没頭し始めた。色鉛筆が厚手の紙を擦る、小さく規則的な音。それは、外の喧騒とは完全に切り離された、とても濃密で心地よい静寂だった。大人はつい「有名な観光地を効率よく回らなきゃ」と焦ってしまうけれど、子供にとっての旅のハイライトは、ホテルのふかふかのベッドの上で、誰にも邪魔されずに好きな色を塗る時間だったのかもしれない。

また、北斗星をテーマにしたコンセプトルームの、あの独特な質感には家族全員が魅了された。かつての寝台特急の記憶を宿した空間に足を踏み入れたとき、上の子は「ここは魔法の電車の中なの?」と、瞳をキラキラと輝かせていた。実際に走っていない列車なのに、そこには確かに、どこか遠くへ連れて行ってくれるような「旅の気配」が流れていた。使い込まれた部品を模したモチーフや、琥珀色に灯る懐かしい照明の光。それらが、子供たちの想像力という静かな水面に、心地よい波紋を広げていく。大人が知識として知っている「鉄道の歴史」ではなく、彼らにとっては「大人の秘密が隠された最高にクールな基地」に見えていたのだろう。大人の想定外なところに、こんなにも純粋な喜びが転がっていることに、私はいつも気づかされる。

旅路の果てに、心に深く刻み込まれた記憶の断片とは

最後の日、大浴場で浸かったお湯の温度が、心まで解きほぐすほどちょうどよかった。肌に触れる水の表面張力が、一日の歩き疲れをゆっくりと剥がし取っていく感覚。真っ白な湯気の中で、子供たちがバシャバシャと水を跳ね上げ、親同士が苦笑いしながらそれを眺めている。そんな、なんてことのない時間が、実は人生で一番贅沢な時間なのだと思う。

朝食で味わったいくらの、あの弾けるような食感と濃厚な塩気。口の中で一粒ずつ弾けるたびに、函館の海の冷たさと豊かさが同時に押し寄せてくる。豪華なディナーよりも、家族で囲む朝の食卓にある、そんな小さな味の記憶の方が、ずっと長く心に刻まれる気がする。3月の函館はまだ厳しい寒さの中にあるけれど、ホテルを出て駅へ向かう道すがら、子供たちがぎゅっと繋いだ手のひらから伝わる熱だけが、何よりも確かだった。私たちは、何か特別なことを成し遂げたわけではないけれど、ただ一緒にそこにいた。そのことだけで、十分すぎるほど満たされていたのだ。

脱ぎ捨てられた靴下が絨毯の上で丸くなっている。もう一度ここへ来ようと、家族で笑い合った。

  • 朝市へは、あえて少し早起きして、まだ街が眠っている時間に向かうのがおすすめ。空気の透明度が違います。
  • 枕の選択肢が多いので、自分に合うものを探す時間を。心地よい目覚めは、小さな選択の積み重ねから始まります。