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肩と肩の距離が、ほんの少しだけ縮まった夜

肩と肩の距離が、ほんの少しだけ縮まった夜

記憶を留める小さな円環

木製のコースター。和洋室の静謐な空気の中、オーディオセットの傍らに静かに置かれていたそれは、深い飴色に染まり、表面には長い年月をかけて刻まれた不規則な年輪が、まるで地図のように広がっている。指先でそっと撫でると、木の呼吸がそのまま凝固したような、わずかなざらつきと、心地よい体温のような温もりが伝わってきた。そこに冷えたグラスを置けば、結露した水滴がゆっくりと円を描き、木の繊維の奥へとじわりと吸い込まれていく。その小さな染みが、時間をかけて濃い色へと変わっていく様子を、私たちはただ、呼吸を合わせるように眺めていた。

湖畔の風に溶ける言葉

「ねえ、ここ、静かすぎるかな」

バルコニーへ出ると、目の前に広がるサロマ湖が、空の色彩をそのまま鏡のように映し出していた。君が小さく呟いた声は、湖から吹き上げる冷ややかな風にさらわれ、形を失って消えていく。私は答えを探そうとして、結局、手すりの冷たい金属の感触にだけ意識を向けた。指先から伝わる冷気が、思考を白く塗りつぶしていく。

「いいんじゃない。ちょうどいいと思うよ」

そう答えたけれど、本当は私も怖かったのかもしれない。この圧倒的な静寂の中で、自分たちの間に流れる不器用なリズムが、剥き出しのまま暴かれてしまうことが。けれど、隣に立つ君の肩が、冬の名残を孕んだ風にほんの少しだけ震えているのが分かったとき、その震えが心地よい共鳴のように感じられた。私たちはどちらからともなく、視線を湖の水平線へと戻した。オレンジ色が次第に深い紫へと溶け出していく、名前のない時間だった。

染み込んでいく、不完全な愛おしさ

チェックアウトして日常の喧騒に戻った今でも、あの部屋で過ごした時間は、白い画用紙に落とした一滴の濃い絵具のように、記憶の底でゆっくりと、けれど確実に広がっている。最初はただの点だった。君と私の、決して交わることのない別々のリズム。けれど、サロマ湖 鶴雅リゾートの柔らかな灯りと木のぬくもりに包まれ、私たちは無理に正解を出そうとするのをやめた。ただ、温泉の湯温が肌に心地よく馴染むことに驚き、裸足で踏んだタイルのひんやりとした感触を共有し、深夜に廊下を歩くときの、厚いカーペットが音を飲み込む深い静寂に耳を澄ませた。

それは、あのコースターの繊維の奥深くまでじわりと浸透していく水滴の色の変化に似ていた。境界線が曖昧になり、どこまでが自分のもので、どこからが君のものなのか、分からなくなる瞬間。不器用な私たちが、お互いの呼吸を合わせようとでもがいていた時間は、決して効率的なものではなかったけれど、だからこそ、その不確かさがたまらなく愛おしかった。完璧に理解し合うことよりも、理解できない部分をそのままに、ただ隣に座っていることの方が、ずっと誠実な関係なのかもしれない。

ふと思い出すのは、朝食のときのことだ。地元の新鮮なホタテの濃厚な甘みに感動して、私が少し大げさに身振り手振りを添えて話していたとき、君が私の口元に小さなタレがついているのを指差して、ふふっと小さく笑った。そのとき、私はわざとらしく照れて、不器用におしぼりで拭こうとして、さらに汚れを広げてしまった。君は呆れたように笑いながら、自分のハンカチでそれを優しく拭ってくれた。その、ほんの数秒の出来事が、どんな豪華なディナーよりも、私たちの心の距離を近づけたような気がする。

今も、ふとした瞬間にあの湖畔の風の匂いを思い出す。それは、何かを解決するための旅ではなく、ただ、そこに在ることを許し合うための時間だった。私たちはまだ、お互いの正解を持っていないけれど、それでいい。空白があるからこそ、そこに新しい色を落とし込むことができるのだから。

濡れた砂浜に、二つの足跡が並んで、ゆっくりと消えていく。

  • 5月の夕暮れ時、バルコニーで湖の色が紫に変わるまで、ただ隣で黙っていること
  • 温泉から上がった後、冷えた空気の中で、温かいお茶をゆっくりと淹れて飲むこと