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凍った湖の端で、誰かが笑った気がした

凍った湖の端で、誰かが笑った気がした

凍えた肺と、誰の物か分からないスーツケース

刺すような冷気に肺の奥まで凍りつきそうな心地だった。サロマ湖 鶴雅リゾートの重厚な扉を開けた瞬間、包み込むような温もりと、ほのかに漂う白木の香りが肌にまとわりつく。ロビーの柔らかなオレンジ色の光が、凍えた心までゆっくりと解かしていく。誰かが「予約したのは誰だっけ?」とぼやき、それに「お前だろ」と笑い声が重なる。床に転がるスーツケースが不規則なリズムでカチャカチャと鳴り、もこもこのコートを脱ぎ捨てた後の、あの心許ないほどの解放感。私たちは、目的地さえ曖昧なまま、ただこの心地よい温度に身を任せていた。

この場所が私たちに教えてくれた、4つの些細なこと

「楽庵」が教えてくれた、贅沢な距離感
グループ客室の「楽庵」に足を踏み入れたとき、まず驚いたのはその圧倒的な空間の広さだった。部屋の端で欠伸をする友人の姿は見えているのに、声が届くまでにわずかなラグがある。い草の清々しい香りと木のぬくもりが混ざり合い、張り詰めていた緊張がゆっくりとほどけていく。誰がどこで寝るかで揉めた末に、結局全員が畳の上に適当に転がったとき、私たちは本当の自由と、心地よい連帯感を知った。

ビュッフェという名の、理性の喪失
レストラン「ラ・メール」の海鮮を前に、私たちは文明人であることを完全にやめた。特にホタテの弾力ある食感と、口いっぱいに広がる濃厚な甘みには抗えない。皿の上に築かれた料理の山を見て、誰かが「盛りすぎじゃない?」と苦笑いしたが、鏡のように全員が同じことをしている滑稽さが、この旅の最高のスパイスになった。美味しいものを前にして、ただ食欲に忠実な生き物に戻る快感。

温泉が溶かした、心と体の境界線
熱い湯に身を浸すと、冷え切った指先からじわじわと熱が浸透し、自分と世界の境界線が曖昧になっていく。立ち上る真っ白な湯気で視界がぼやけ、隣にいる友人の輪郭が淡い光の中に溶けて見えた。肩に心地よくかかる水圧が、頭の中の雑音をひとつずつ剥がし落としてくれる。誰かが「もう一生出られない」と小さく呟いたとき、私たちは言葉を交わす必要なんてないことを、深く理解していた。

夕日が砕いた、悩みという名のノイズ
サロマ湖の夕暮れは、単なるオレンジ色ではなく、紫から深い青へと移ろうプリズムのようだった。湖面に反射した光が細かく砕け、まるで宝石を撒き散らしたかのような輝きを放つ。その光の屈折を眺めていると、日常で抱えていた悩みなど、この巨大な静寂の中では小さな水泡に過ぎないと感じられた。誰もスマホを取り出さず、ただ静かに光が消えるまで湖を見つめていた。

リストにはなかった、春を待つ時間

計画していた観光地の半分も回れなかったが、結果的にそれがこの旅の正解だった。部屋でだらだらと横になり、まだ遠い桜の開花予想をチェックしては、「どうせここはまだ無理だよね」と笑い合う。3月の北海道は、冬の終わりと春の始まりが不器用に同居している季節だ。外ではまだ冷たい雪が舞い、室内では春を待つ静かな時間が流れていた。そんな中途半端な季節感に、完璧ではない自分たちの不器用さを重ねていたのかもしれない。夜中、誰かがふと「来年もまた来ようか」と呟いたとき、その声が少しだけ震えていたのは、寒さのせいだけではなく、名付けようのない愛おしさに満ちていたからだと思う。予定調和ではない旅の不自由さを、私たちは心から楽しんでいた。

凍った湖の端で弾けた笑い声だけを連れて、私たちは帰路についた。

  • 3月のサロマ湖は極寒です。厚手の靴下と、少し大げさな防寒着を忘れずに。
  • 「楽庵」に泊まるなら、あえて予定を白紙にして、何もしない時間を1時間だけ作って。