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濡れた靴下と、誰かが笑った記憶

濡れた靴下と、誰かが笑った記憶

裸足の裏に心地よく沈み込む、厚みのあるカーペットの感触。ロビーに足を踏み入れた瞬間、外の刺すような冷気が嘘のように消え、代わりに洗練されたアロマの香りが鼻腔をくすぐった。次男が「ここ、大きな船みたいだ!」と声を弾ませ、チェックインを待たずにエレベーターへと全力で駆け出していく。その小さな足音が絨毯に吸い込まれていく様子を、私はただ微笑んで眺めていた。センチュリーマリーナ函館という場所は、街の喧騒の真ん中にありながら、どこか別の海に浮かぶ豪華客船に乗り込んだような、静かな錯覚をくれる。


肩まで浸かったお湯の温度が、芯まで冷えた身体にちょうどいい。最上階のインフィニティスパで、強張っていた指先がゆっくりとほどけていく。目の前に広がるのは、濃紺に染まった函館の街並みと、どっしりと構えた函館山のシルエット。天然温泉の柔らかな湯気に視界がぼやけるたびに、自分が誰であるかさえ忘れそうになる。「ああ、今はただのお湯の一部になればいい」――そんな心地よい諦念が、心を軽くした。大人は時々、こういう「何も考えなくていい空白」を必要としている。
朝の「YUUYOO TERRACE」は、心地よいカオスに包まれている。カチャカチャと鳴る磁器の音、子供たちの高く澄んだ笑い声、そしてコーヒーマシンが低く唸るリズム。それはまるで、世界中の港町から旅人が集う賑やかなマルシェのようだ。隣のテーブルでは、長女がパンケーキの形について「こっちは雲みたい、こっちはお月様!」と熱心に議論している。整理されていないけれど、生命力に溢れた音の層。その騒々しさが、不思議と家族の絆を確かめる安心感に変わる。
口の中に広がる、玄米のプチプチとした心地よい食感。北海道の豊かな土が育てた野菜の、飾り気のない濃い甘みが舌に残る。体に優しいというのは、こういうことなのだろう。次男が「このご飯、土の味がする!」と不思議そうに言い、私たち大人は顔を見合わせて小さく笑った。豪華なフルコースよりも、こうした大地の息吹を感じる味が、旅の記憶に深く刻まれる。お腹が満たされると、心の中にあった小さな不安まで一緒に消化されていく感覚があった。
Marina Sauna Suiteの明かりを消すと、窓の外に広がる夜景が、そのまま部屋の中に流れ込んでくる。深い群青色と、点在する琥珀色の光。影がゆっくりと壁を這い、部屋の輪郭が曖昧になっていく。子供たちが寝静まった後の、濃密な静寂。その静けさは、空っぽなのではなく、今日一日の出来事で満たされている心地よい重みがある。暗闇の中で、誰かが寝返りを打つ衣擦れの音だけが、規則正しくリズムを刻んでいた。
子供用のパジャマが大きすぎて、袖から手が完全に見えなくなっている。その不格好な姿が、なんだかたまらなく愛おしかった。ベッドサイドに置かれた、使い古したぬいぐるみと、誰が脱ぎ捨てたのかわからない片方だけの靴下。完璧に整えられたホテルの空間よりも、こうした「生活の破片」が散らばっている方が、旅をしている実感がある。この不完全で、けれど温かい景色こそが、今の私たちの家族の形なのだろう。
最後にもう一度、窓の外を眺める。遠くに見える街の灯りが、ゆっくりと瞬いている。誰かがここで泣き、誰かが笑い、そして私たちはここで、ただ一緒にいた。特別なことは何も起きなかったけれど、それで十分だったのだと思う。この静かな肯定感こそが、私たちがこの旅に求めていた答えだった。センチュリーマリーナ函館という船を降りる時間が近づいているけれど、心の中にはまだ、温かい湯気の記憶が、心地よい余韻として残っている。

冷たい風に吹かれながら、家族で肩を寄せ合って歩き出した。

  • 子供と一緒に、最上階のスパから見える街の灯りを数えてみるのがおすすめ。正解はないけれど、きっと盛り上がる。
  • 朝食のマルシェでは、あえて食べたことのない北海道の野菜に挑戦して、家族で「味の感想戦」をしてみてほしい。